信仰の自由侵害回復請求訴訟(第一次)・訴状
弁護士 郷路 征記

第2 被告統一協会による布教活動の実際
1 きっかけ

 被告統一協会は、信者を獲得するため、街頭での青年意識アンケート調査を装って青年に接近したり(路傍伝道)、家族関係や友人関係を利用したり(FF(フレンド・ファミリー)伝道)、霊感商法や定着経済、珍味・印鑑売り、鑑定チケットなどの訪問販売等の経済活動によって主に主婦層(被告統一協会用語で「壮婦」という)に接近する。
 こうしたきっかけを通じて、住所、氏名、電話番号、趣味、悩みなどを把握した後、巧みなトークを駆使して青年や主婦等をビデオセンターや鑑定所に勧誘する。なお、ビデオセンターから珍味マイクロに至る布教過程のそれぞれの期間、場所、被告統一協会の目的、スタッフの役割、次の段階に進む決断をさせるテクニック等の概要は、以下の記載及びそれを一覧表にまとめた別紙1のとおりである。なお、以下の記載及び別紙1は概ね1985年から1992年頃までの札幌及び旭川の実情によるが、被告統一協会の布教過程は全国共通であり、かつ、長年の活動によって練り上げられて完成されたものであるので、現在でも基本的な変更はない。

2 青年の場合
 青年の場合には、通常、次のような経過をたどる。

(1) ビデオセンター
 ビデオセンターの落ち着いた雰囲気の喫茶店のような様子を伝えるリーフレットが作成されている。そこは、クラシック音楽が流され、初めての人も安心させ、心地よさを与えるように工夫されている。しかし、リーフレットでは紹介されていない部屋がある。文鮮明と韓鶴子の写真が飾られているタワー室、祈祷室である。霊の親(対象者に最初に声をかけた者)、協助(霊の親とペアになっていた者)、新規トーカー(ビデオセンターに初めて来た人に受講を決断させる役割を持つ者。被告統一協会の各部署からその役割に適合する者として選抜され、研修を受けたその道のプロである。)が、ビデオセンターに来た人(被告統一協会用語で「ゲスト」という。以下この訴状では「対象者」と表示する。)の攻略方法をタワー長(その時の活動を統括する責任者)から指示され、ハッパをかけられ、文鮮明の写真の前で、対象者を救う一念での祈祷をして心のパワーを高め、対象者に向かう態勢を整える場所である。
 新規トークの結果、ビデオ受講を開始した対象者には、それぞれ相性に応じたり対象者の重要度に応じて主任が割り振られる。主任の任務は、ビデオ受講前後に対象者と話し合い、対象者をビデオセンターにつなぎとめ、和動(話し合い)を通じて対象者に被告統一協会が意図する価値観の転換、統一原理の浸透を起こさせることである。主任は、ビデオを見せる前や後に2ないし4時間もかけて対象者と話し合う。
 ビデオセンターでは、プロモーションビデオから始まり、講師が統一原理を黒板講義していく13巻のビデオを、各人ごとにブースに入れて見せる。ノートをとるように誘導される。
 ビデオを見た後、毎回感想文を書かされる。感想文は客観的なものは排斥され、自分の決意や感情が現われた主観的なものでなければならないと言われる。対象者は、主任の喜ぶような内容の感想文を書く傾向が現れ、主任の喜ぶような感動をビデオの中に見い出そうという気持ちでビデオを見るようになってくる。

(2) ツーディズ
 ツーディズは、札幌市の場合は中央区円山の札幌ハイツという都心を離れた自然の中で行われる講師による講義を主体とした合宿セミナーであり、対象者は、前日の午後7時30分にビデオセンターを出発してから第2日の午後6時30分の閉講式を終了して、バスで札幌市北区北24条のサークルプラザΣ(シグマ)に移動してウエルカム・パーティが終了する午後9時まで約57時間隔離される。電話は緊急時以外禁止であり、親の側からは連絡のつけようがない。
 被告統一協会の準備は、前日の午前8時から始まる。午前中に会場の設営をすませ、ビデオセンターでの反応の善し悪しから、対象者をS・A・Bの3ランクに分け、Sランクから順に前の方に座らせるように座席を決める。特に重要な人材(「VIP」という。)は、能力ある班長の下に配置する。スタッフ室には、文鮮明と韓鶴子の写真が飾られ、対象者の心情進展一覧表が壁に張り出される。前日午後1時から4時までスタッフ教育のためのミーティングが行われる。全員でツーディズのマニュアルを読み、ロールプレイングが行われる。この場合の班長の話し方についても詳細なマニュアルがあり、対象者の想定される反応に対応するトークが決められている。入浴した後、聖別式が10分間行われ、その後約1時間の決断式がある。
 講師は、ツーディズの場では神とメシヤの代身(その立場にある者)とされる。講師といっても、被告統一協会の中の各部署の責任者クラスの者にすぎないが、他のスタッフが、その人がすばらしい人であることを証(あか)すことによって講師は権威になっていく。講師は汗をほとばしらせながら、熱をこめて心がつながる講義をする。班長は、協会員として一定の経験を持った人の中から選抜され、@神とメシヤの代身たる講師と対象者をつなぎ、A和動を主宰して対象者の心を開かせ、講義の浸透を図り、B班員を管理して横的授受(班員同士の、班長が管理していない交流のことをいう)が起きないようにし、C対象者からライフトレーニングとフォーディズヘの参加を取り付け、D対象者の見本となり、E対象者に希望を与え、包み込み、激励するという母性的役割がある。進行係は、オリエンテーションにおいて、「やる気のない人は帰って下さい。」などと述べ、講義のやり方に溶け込めない人を帰すなど、父性的役割を果たす。外部との連絡は一切禁止であるだけでなく、講義の影響力が減殺されたり、非原理的な人の影響が及ぶことを避けるため横的授受も禁止される。
 ツーディズのスケジュールは別表2のとおりである。
 ツーディズの講義は、メシアが現存するというところで終了し、メシヤが誰であるかは証されない。それは次の課程であるライフトレーニングで、と言われる。
 第1日目の夜9時30分からと、第2日目の午後4時30分から、班長による面接が行われ、権威を仮装する講師の言葉として対象者への賛美とライフトレーニング参加の勧めが伝えられる。
 第2日目の午後6時30分から閉講式が行われるが、黙祷が終わった段階で、会場の後ろに霊の親が来ていることが告げられる。対象者は霊の親とともにバスでサークルプラザΣ(シグマ)に移動し、ウエルカム・パーティが開催される。

(3) ライフトレーニング
 ライフトレーニングは、仕事や学業が終わった後の夜に開催される講義やビデオの受講等のことであり、ツーディズの翌日から行われる。開催場所は、札幌市の場合、北区北13条西3丁目のニューホープセンターと称される建物である。期間は15日と30日の2通りある。平日は午後7時から11時30分ころまでであり、土日は日中に様々なイベントが行われる。有料(3万5000円)で、食事が提供される。主任はツーディズで進行をした者がなり、ツーディズの班長がそのまま班長となる。講義は主任が担当し、食事やゲーム、歌なども一緒にする。班長は、ツーディズでの母という役割よりも姉という感じである。
 ライフトレーニングの当初から、ホーレンソウ(報告・連絡・相談)、為に生きることが求められ、祈りが開始される。行動の変化による原理の内面化が図られるのである。

(4) フォーディズ
 ライフトレーニングの翌日から、献身の決意をさせるフォーディズが始まる。フォーディズは支笏湖(又はニセコや富良野)のユースホステルで開催される。研修室の黒板の上に横断幕が掲げられ、そこにはフォーディズ修練会という表示と世界基督教統一神霊協会北海道教区の名前が初めて記載される。対象者は前日の午後7時30分にニューホープセンターに集合し、午後8時に出発し、午後9時30分ころ、ユースホステルに着く。それ以降100時間の隔離が開始される。フォーディズにおいても、緊急時以外の電話は禁止され、テレビや新聞を見ることもできない。1回のフォーディズに参加する人員は、スタッフ、リフレッシュのメンバーを含め合計100名くらいである。リフレッシュのメンバーは協会員であり、すでに布教過程を終了したものの、活動の中で元気を失ったような場合に、活力を与えるため再度フォーディズに送り込まれた人のことである。リフレッシュのメンバーはサクラの役割をも果たす。スタッフには、講師、進行係、班長、修母(修練会の母)、聖歌指導担当者、食当(食事の当番)、総務係がいる。
 第3日目の夜は部屋全体を暗くして蝋燭をつけ、「お父様の詩」が朗読される。 班長面接は連夜行われる。班長は「お父様の詩」の後、自分が献身していることを伝える。そしてその後、献身の決意を求めて対象者に迫るのである。フォーディズでは、参加者の半分くらいが献身の決意をする。被告統一協会は、献身させて組織に取り込むことによって、その人の社会的なつながりを切断し、情報の制限、社会的比較の制限によって、彼らの人生と人格を変えていく。

(5) 新生トレーニング
 新生トレーニングは、フォーディズの翌々日から開始される。開催場所は、ニューホープセンターである。ライフトレーニングの対象者が使うのは1階と2階、新生トレーニングの対象者が使うのは3階、4階である。ライフトレーニングの対象者に対しては、3階、4階に行かないよう指示される。
 新生トレーニングは、夜に開催される講義の受講等であり、27日間のコースであるが、ライフトレーニングとの最大の相違は、対象者がニューホープセンターに合宿するという点にある。日曜日に終わったフォーディズから帰ってきて月曜日に面接を行い、火曜日に開講式が行われ、泊まり込みの共同生活が開始される。自宅で生活している人には、1人暮らしをしたいという虚偽の理由でアパートを借りさせ、そのアパートに荷物を置かせて本人はニューホープセンターで合宿させる。これ以降、親と一緒に住むことは、協会員である限り2度とない。アパートを借りることが難しい対象者については、通いで参加させるが、土曜日は必ず泊まらせるようにする。その人達も、そのうちに親との断絶を作り上げ、合宿生活に移行させる。
 新生トレーニングは有料(3万円)であり、昼食も希望すれば作ってくれる(有料)。新生トレーニングは、体力のない者などは排除される。講義はニューホープセンターの責任者である教育部長が行う。進行担当者は主任といわれ、対象者に対し厳格に接する。班長は生活と活動の見本を示し、講師と対象者との間の連絡役を果たし、和動を主宰する。スタッフとしてチームマザーがいる。最初の面接ではアンケートを書かせ、決意を確認し、動機をチェックする。どのような嘘をついて家族をだますかということについて細かく打ち合せる。家庭問題への対応は特に勝手にやらないよう釘を刺す。
 開講式は午前7時に開始される。全員黙祷、聖歌が歌われ、教育部長が挨拶し、聖歌を歌って全体祈祷する。開講式の後オリエンテーションが開催され、館内の使い方の説明がされる。3階、4階には祈祷室(文鮮明と韓鶴子の写真が飾られている部屋)がある。1日のスケジュールの説明がある。朝6時起床、起床の号令がかけられ、黙祷、挨拶をした後体操の準備をして外に集合。6時5分から体操。掃除、洗面、6時50分から朝拝。7時30分以降朝食、各自会社に出発する。午後6時30分、集って聖歌を歌う、7時から2時間の講義、その後新生日記を書く。9時10分から夕食、後かたづけ、10時30分全体の反省会、祈祷会。11時各班での反省会、面接。12時30分完全消灯というものであるが、スケジュールが遅れたりでこのとおりの睡眠時間は確保できない。オリエンテーションでは、様々な注意を受け、個別のスケジュール表を作らされ、原理講論、信仰生活講座、神とともなる生活という本を買わされる。
 最大の行事は3日間開催される心情解放展である。1人1人の対象者が、チームマザー又は巡回師に個別に面接して自らの罪を告白し、その罪を清算して信仰生活を出発するため献金を強制されていく。金銭の収奪を納得させるために過去を清算しゼロからの出発(死と再生)ということが強調される。各対象者の預金額は掌握しているので、各人ごとの目標を決めて面接するが、この後商品を売りつけることなどで全財産を収奪することができるから、この段階では無理をしない。心情解放展における献金は、被告統一協会の各セクションやビデオセンターに分配される。
 実践神学あるいは万物復帰と称して物売り(珍味売り)が実践され、伝道と称して街行く人達をビデオセンターに誘うことが実践される。
 新生トレーニングの最後の日、ビデオセンターへの勧誘活動の後、北海道地区本部教会で入会宣誓式が行われる。文鮮明の写真の前で、蝋燭がともされた暗い場所で、神の悲しみの心情を知った今、地上天国の実現のため、私の全人生を捧げますと宣言する。1000円の入会金を支払い、正式に統一協会員が誕生する。

(6) 実践トレーニング
 その後の実践トレーニングは、札幌市白石区菊水のアカデミーと称する建物で行われる。実践トレーニングは、人によって期間が異なる。献身が可能になるまで教育を受け続けるからである。実践トレーニングは、講義と実践の結合した形態であるが、講義そのものも実践に密着した内容になっている。
 冒頭に「公式7年路程」の講義がある。現代は文鮮明の努力によってわずか7年で原罪を脱ぐための祝福(合同結婚式のこと)を受けることができるようになった恵みの時代であると喜ばせて、救いのために全ての人が歩まなければならない道として、その前に3年半の経済活動と3年半の伝道活動が必要であると講義する。経済活動は、協会員にとって最大の希望である「原罪を脱ぐ=メシヤを迎えて新生する=祝福を受ける」ためにはどうしても実践しなければならない課題なのであるとされる。
 「万物復帰の意義と価値」、「伝道学」、「展示会思想」、「国際祝福」などの講義がある。このような講義に結び付けて伝道や経済(展示会への動員)の実践が開始される。ビデオセンターに友人を誘うとか、展示会に両親を誘うとかいう実践をアベルの指示を受けながら取り組む。
 実践トレーニングの最後に献身させる。献身の際には、家財道具も献品させる。この段階では、職場の同僚や上司、友人に対してエリート意識を持つようになり、親のためより天のためという意識になり、嘘をつくのが平気になり、善悪の判断基準が変わり、神とサタンの働きで世界を解釈するようになるという人格の変化が生じる。

(7) 伝道機動隊や珍味マイクロ部隊
 その後、伝道機動隊とか珍味マイクロ部隊に配属される。
 伝道機動隊は街頭アンケートや訪問を専門に行う部署である。人を誘うことによって、その模範とならなければと考えるから責任感を持つようになり、原理的となり思想が定着する。
 珍味マイクロ部隊は、違法に改造されたキャラバンカーに乗って、そこに寝泊まりしながら2、3か月、全道を回って珍味を売り歩く。朝は5時、6時から夜は12時くらいまで、過酷な生活が強いられる。自分自身が悲しい思いやつらい思いをすることにより、神の悲しみを実感したつもりになり、思想が定着する。睡眠不足、粗悪な食事、過酷な労働、ストレスの継続で心身の状態が悪化したとき、単に偶然に起きた事について、願いが叶えられたと誤解する心理が働くことがあり(神体験)、その体験はリアルなため、神の存在を実感したと思いこんでしまう。

(8) 教育を受けた後
 珍味、マイクロまでの課程を終了した協会員は、人事といわれる一片の命令によって、全国各地のさまざまな部署に配置される。定着経済や霊感商法を行う「店舗」や北翔クレインなどの「販社」や、布教過程を担うビデオセンターなどの部署に配置される者もいるが、圧倒的多数は被公然組織たる被告統一協会の下部組織に配置される。勝共連合などの政治組織に配置される者もいる。

3 教えられる内容
(1) ビデオセンター
ア 総序
 1番最初に見せるビデオは統一協会が編集した「戦争・飢餓・不倫・非行・エイズ・環境破壊」など人類が当面している課題を集めたビデオである。普通の人が日常生活を送るについては特別考慮しなくてもいい問題であるけれども、テレビ新聞を通じて一応聞いてはいたという問題について、問題関心を高めておくのである。そのような人類が当面する課題について、あなたはどのように考え、どう対応しようというのかということが、暗黙のうちに問われている。
 第4回目までの間に必ず見せるものは統一原理講義用ビデオ第1巻総序である。それ以外については「受講生の問題、関心を啓発するため」に、様々なビデオを選抜して見せる。
 総序の内容は人間が邪心と本心への指向性を持った存在、すなわち矛盾性を持った存在であること、その原因は人間始祖の堕落にあること、人間の歴史は堕落して落ちたところから元の所に戻る復帰の歴史であることなど、統一原理の概要を通俗的な事例を用いたり、聖書ではこう書いてあるという形で説明していく。総序のビデオの目的の1つは、神とか聖書が創造原理の1番最初から出てくるので、ゲストが出会うショックを和らげるために事前に概略の説明をすることである。
イ 神の創造目的
 ビデオの第2巻は創造原理その1で、中心となるのは神の創造目的(神が人間や万物を創造した目的)に関する講義である。この講義では冒頭に講師が「神は存在している」と明言する。そしてこの講義全体を通じてそのことを証明していくという。
 その手段のひとつとして当時はNHKサイエンススペシャルで放映された「人体」の第1回と第6回を見せる。第1回は人間の誕生について、第6回は生命を守る免疫について、現代の科学の到達水準を映像化したビデオである。このビデオを見せて、これほどに精妙かつ驚異的な人間の創造主は誰なのかという問題を提起する。こんなものを人間が造れるわけはないし、人間以外の動物が造れるわけでもない。神以外にないと説明するのである。そして、1人1人の人々が神によって創られた、天宙的な価値ある存在であることを強調する。
 「OH GOD」という映画を見せる。コミカルな感じで神を扱っているので、神に対して親近感を持つことが出来たという人が多い。この頃に「クリスマス・キャロル」も見せる。この映画を見せる目的は財に対する価値転換を図るためである。「財産をいかにたくさん持っていても幸せではない。その使い方如何だ」と考え方を変えるのが目的である。
ウ 霊界の存在は恐怖を・・・
 創造原理その2は霊界についての講義が中心である。
 ビデオを見せる前に霊界について和動で説明をする。霊界は3層になっており、それぞれがまた3層に分かれている。天井界の1番上が天国でありそこは誰もまだ入っていない。イエス・キリストもその手前のパラダイスにいる。天井界の1番下にシュバィツァーのような人がいる。天井界にいる霊人体(死後に残るもの。人間の体と同じ形をしているが透き通っているという)は発光していると説明する。中間界の1番上には宗教人が、次には良心層が、1番下には良心層に準じる人達がいる。中間界の霊人体は反射するだけである。その下が地獄界でその1番上は盗みをした人、2番目が殺人を犯した人、1番下が色情問題で問題を犯した人であるという。色情問題が殺人より重い理由は、すべての犯罪の根になっている愛の問題が霊界で1番ひっかかるからであると説明する(淫行による人間の堕落の伏線である)。地獄界の霊人体は真っ黒で傷だらけだと言う。
 ビデオを見せたあとでの和動で例えば次のように言う。「霊界には、人間が堕落することにより、地獄ができてしまいました。霊界は3段階に分かれています。生きている内に、いかにして霊人体を完成させるか、ということが大きな問題です(講義のなかで、霊人体が成長して発光するようになるか、まっ黒になるかは、生きている時の生活次第であると説明している)。どうしたら霊人体を完成させることができると思いますか?はやく言えば、この間勉強したところですが、3大祝福(創造原理その1神の創造目的の所で、個性完成、子女繁殖、万物主管が3大祝福であると説明されている)をまっとうするんです。3大祝福を全うしてはじめて霊人体が完成されるんですよ。
 霊界の前に精霊界というところがあるといいます。よく49日といいますが、この間○○さんが死ぬまでどんな生き方をしたか、走馬灯のようにみせられるといいます。すべて霊人体が記憶しているというのです。自分でも見たくないことまで、全部見せられるというのです。
 どんな生き方をしたかによって、霊界の位置が決まってしまうので、それなりの所に自分が決めて自分で行ってしまうのです。自己中心的に人を傷つけ、人にうらまれ憎まれながら生きた人の霊人体は人間の形をしていないというのです。ケダモノのような形をしており、まっ黒でしかも悪臭を漂わせているといいます。天国に生きたいと思っても、天国は神様がもっとも近く、明るい所で、為に生きる所なので、苦しくて苦しくて、とてもいることができないというのです。仕方なく自分の霊人体に似合った地獄のような暗く淋しい所に行かざるをえないといいます。地獄は自分の罪を自分が責めて苦しんでいる所です。
 ○○さん、今死んだらどこへ行くと思いますか?
 ○○さん、これからどんな生き方をしてもかまいません。死後の世界がないと思えば、食べて寝て肉欲を満たしながら生きるもよし、神様を知らなくても生きてゆけるし、真理を知らなくても生きてゆける。自分の価値基準の中で生きていってもいい。でも、霊界はあるかないかのどちらかでしょう。神様の実在もどちらかです。これは信ずるとか信じないとかの問題ではなく、実在するかしないのかという重要な問題です。
 実在するならば、その真理を知って真理の如く生きるほうがいいと思いませんか?その方が価値ある生き方だし、本心が納得し満足する生き方だと思いませんか?」
 霊界についての講義が対象者に恐怖を与えることを目的にしていることは明らかである。個人差はあるが霊界とか霊魂について感受性の強い対象者の場合、この段階から恐怖に捕われる。「今のままでは、どこに行くと思いますか?」と問われれば、よくて中間界の最下層か地獄だと思わざるをえない。それは恐怖である。
 恐怖は人間にとってもっとも原始的な感情であり、人は恐怖に捕われた場合その恐怖から逃れるように行動する。霊感商法で先祖の因縁話に脅されて恐怖を抱いた人が1000万円も出して無価値な壺を買うのは、壺を買うことがその恐怖(先祖の因縁)を回避する道であると示されるからである。恐怖は人の行動を一定の方向に変化させ、それ以外の行動を取らせないために最も強力な力を発揮する。
 このビデオを見せる前にスウェデンボルグ(アリストテレス、レオナルド・ダ・ビンチをしのぐ巨人と統一協会内部では説明されている18世紀スウェーデンの科学者)の「私は霊界を見てきた」(マンガ版)を読ませる。ビデオ講義の霊界についての説明の権威づけに利用しているのである。統一協会に勧誘される人達は霊や超能力等について興味や関心のある人が多い。そのような若者の中には、このビデオ講義と和動で霊界の存在を信ずることになる人もいる。
 この講義は、又、統一協会員が現世における「苦難」や「困難」を受忍する根拠を与える考え方の重要な一翼を担っている。霊界で幸せに生きるためなら、わずか100年程度の現世の苦労などどんなことでも耐えなければならないと考えるようになるのである。
エ 堕落の原因は淫行
 堕落論の講義の前に統一協会が編集したビデオ「堕落論プロローグ」を見せる。現代の性の乱れのひどさについて訴えるインタビュー形式のビデオであるという。堕落論のビデオの中心は聖書の創世紀失楽園の物語の原理的解釈である。その講義そのものは聞いていて面白くも、深刻でもない。こじつけとしか言えないような解釈が展開されている。
 ビデオを見た後の和動で「罪が淫行である故、男性はエバを誘惑した天使長と同じである。だから男性が『愛している。好きだよ』とささやくその言葉の背景に“セックスがしたい”との思いが含まれている。じゃあ、女性はどうかというと、アダムを誘惑した当時のエバである。我知らず、色気を漂わせたり、その後ろ姿で男性を誘いかける。女性の中には、そういうものが潜んでいます。これは、すべて(天使長とエバ・その後のエバとアダムの)淫行から出発しているのです」という。
 和動ではこんな風に追い討ちをかける。「よく、良心的生活をしている人は“イヤ、私は正しい。堕落していない。”というけれども、堕落というのは自犯罪が少なくとも、心の奥深くにある私の醜い心のことを示しています。誰もが原罪を持っている限り堕落人間であるし、4つの堕落性本性があります。」と言って1枚の紙を見せる。その紙にはこう書いてある。

1、神と同じ立場に立てない
ねたみ、嫉妬、自己中心、猜疑心、殺意、怨、1人よがり、独善的、不信、孤独、客観的
2、自分の位置をはなれる
不品行、浮気、血気、怒気、情欲、3日坊主、不安、ヒステリー、イライラ、移り気、ブリッ子
3、主管性転倒
反逆、犯行、傲慢、強情、すねる、ひがむ、劣等感、見栄、批判、虚栄、素直になれない
4、犯罪行為の繁殖
自己正当化、責任転嫁、妥協、弁解、うそ、メンツ、付和雷同、反省できない、共犯、悔い改めきれない、自分としては一生懸命、悪党

 「これがなんで堕落性本性なのか?」と疑問を感ずるものも結構あるが、それでもこれだけいろいろあげられれば身に覚えのあることはたくさんある。あったとしても、日常生活を送り人間関係を形成していくのに何の障害にも通常はならないことである。人生経験を重ねて行くうちに、このような心の動きも自然に克服しているのが普通の人間なのである。「良い心」になったり、「悪い心」になったり変転を重ねながら日常生活を送っているその心の一部の動きだけを切り離して、それを堕落性本性として指摘する。「本来神さまから罪の影さえもないようなものに成長するべく造られた人間が、このような悪い心を持っているのは人間がサタンの影響の下にあるからだ。人間がサタンの下にあるのは人間の始祖たるアダムとエバがその成長期に堕落したからだ」と説明する。創造原理の講義が生きてくる。ゲストにとって、無形の存在であるサタンが自分の邪な心という身に覚えのあるものを根拠にするようになっていく。考えたことすらなかった人間始祖の堕落ということが自分の邪な心の存在を根拠にナマナマしい事実のように思えてくる。
 罪の意識も人間の行動や感情をコントロールするためのきわめて重要な道具である。罪の意識を与えることに成功すればその人の人生を支配することは容易になる。贖罪の道を示せば、罪の意識を与えられた人はいかなる犠牲を払ってもその道を進むからである。
 堕落論が入らなかった人については先祖の因縁の話を別のビデオ(「因縁と罪」)を見せて、注入する。先祖の因縁の話は罪の根たる原罪を認識させるものではないが、遺伝罪を認識させ、先祖に殺人者(武家)や色情狂を想定させることによって、罪の血統を自覚させることができる。
 堕落論のビデオを見せた後家系図を書かせる。家系図を書かせることによって、ゲストの意識を家庭、氏族というレベルにまで上げることを目的にしている。3代程度の家系図を書かせてみれば問題のない家族はない。離婚、早死、癌、不仲、子どもがいない等々。みんな堕落人間なのだ。天国に行けない先祖の因縁がこんなに現れているんだという説明をされる。「この家族を救うことができるのは今真理を学んでいる貴方しかいないのです」と言われれば使命感をゆさぶられる。「がんばって勉強しようね」という説得が効いてくるのである。

オ 終末論は行動へかりたてることが目的
 統一協会のいう終末は末世という意味なのではない。たしかに終末には困難な側面はあるが、それはサタンがその主権を奪われまいとしている悪あがきのあらわれなのである。終末とはサタン主権から神主権に転換する時、メシアが現れてこの地上に天国ができるその時なのであると解説する。
 ビデオを見たあとの和動で次のように受講生に迫る。「終末とは、一言で言えば、メシアを迎える時ということです。世界が一つになる準備がされているわけです。ところで○○さん、メシアってどんな存在だとおもいますか?……。メシアは政治や思想、宗教などあらゆる面を根底から改革する“真理”をもって現れる世界的な指導者だといいます。○○さん、もしこの世から戦争も貧困も犯罪もなくせる方法があるとしたら知りたいと思う?そういう方法を知ったとしたらどうする?
 日本でも、幕末の時代に坂本竜馬とか、この世を何とかしたいという一心で生きてきた人達がいたよね。今はそれが世界的なんだよ。人種も、思想も、宗教も超えてすべてが一つになれたら、どんなにすばらしいだろう。戦争も貧困もなくなって、世界中の人達が愛し合い手をとりあい、助けあって生きてゆけたらどんなにすばらしいだろう。そんな世界をあなたは夢やおとぎ話のように思いますか?子どもの頃には、そんな夢を誰もがみていたんじゃないだろうか?そんな世界を、もしすべての人が願っているなら必ず出来るはずだ!そんな世界の為に私は生きてゆきたいと思っています。」
 統一協会の教えのなかで終末論は堕落した人間が救われる機会が「今なのだ!そして最後の機会なのだ!」と力説して、人を行動に駆り立てるための仕掛けなのである。「この道を行くことは世界を救う道なのだ。自分だけの救いの道ではなく、世界を救うことなのだ」という強烈な使命観に統一協会員は燃えているのであるが、そのもとになっているのが今が「終末」だというこの教えなのである。

(2) ツーディズ
ア 訳のわからない冒頭部分
 講義の最初の部分、即ち第1章創造原理第1節「神の二性性相と被造世界」、第2節「万有原力と授受作用および四位基台」(以下章立ては「概説統一原理 レベル4」統一協会発行による)は、まったくわけのわからない言葉の連続である。
 受講生は講義の当初なので緊張して理解しようとして話を聞くのであるが、この講義の終わり頃にはわけのわからない話に混乱して、頭が疲れた状態になるであろう。
イ 人生の目的が与えられる
 午前中にはその後、第1章創造原理第3節「(神の)創造目的」が講義される。
 神が人類と万物(人類以外のすべて)を創造した目的は「神がそれを愛されて、情的な衝動の満足を得て喜ばれるため」であると解説される。「人間は、神の喜びのための直接的な心情の対象として立てられたために、神の子女となるのである」と解説される。神は親であり、人類はその子女とされる。人生の目的は神の喜びの対象となるように、個性を完成すること(人間の心と体が神と一体となり、神の宮となること。完成した個体は神と心情が一体となり神性を帯びるようになり、神が悲しまれる犯罪行為をすることができず、神の完全な喜びの対象となるとされる・これを個性完成・第1祝福という)、理想家庭を完成すること(子女繁殖・第2祝福という)、万物世界に対する人間の主管性(人間が万物の主人公になることを言う)を完成すること(万物主管・第3祝福という)であると教えられ、この3大祝福が完成した世界が神が創造の目的とした理想社会・地上天国であると教えられる。
 前の講義に対比して判りやすい。その理由は最終的に目標と提示されている個性完成、子女繁殖、万物主管が言葉としてはすこし異なるとはいえ通常人が一般的に懐いている考え方と矛盾しない内容だからである。講義のこの部分を受講生が受け入れると神が定めてくれていた自己の人生の目標が与えられたことになる。
 この講義は対象者に親である神の愛を実感させることを目的としている。自然万物を人間が見て、感じて喜ぶことができるのは、親である神が子である人間のために、そのように作ったからだという。親の愛を感ずることができなかった対象者などの中にはこの講義に感動する人が多い。このような理想的親子関係や社会を強調することにより、現実との対比で堕落を印象強く受け取るようにする機能がある。
ウ 恐怖と使命感を与えるための霊界の話
 昼食、サッカーの後、午後3時30分から創造原理第5節の「人間を中心とする無形実体世界と有形実体世界」と「霊人体の再臨協助」の講義をする。霊界と霊人体の話である。午前中の大部分をわけのわからない言葉で頭脳を疲れさせ、その後人生の目的を与えて気分を高揚させ、食事のあと全力でサッカーをさせた後の講義である。眠くなるように操作しているので、この講義の時が一番眠い。
 この講義の目的の第1はビデオ・センターの項で明らかにしたとおり受講生にこのままでは地獄へ行くしかないと恐怖を与えることである。
 第2は使命感を与えることである。受講生には祖先がいる。その人たちは、肉身時代に「善」を行う機会がなかった。その人たちの霊人体は完成していない。したがって、すでに死んでしまった祖先は天国に行けていない。しかも肉身がすでにないのであるから霊人体を完成させることができない。
 どうしたらよいか。「霊界にいる霊人たちは、肉身生活をしている地上人に協助することによって、地上人の肉身を通して自己の霊人体の完成を成し遂げなければならない」とされる。すなわち、地上で「善」を行っている地上人を霊的に助けることによって、死人・祖先の霊人体は完成して天国に行けるようになるのである。だから、1人1人の受講生は「氏族のメシア」であると位置づけされる。自分につながるすべての祖先の救い主とされるのである。強い使命感が与えられる。何万人いるのか判らないが、自分の先祖を救うのは今真理を知りつつある自分の使命だったのである。この講義も受講生の従前の考え方と矛盾しない内容なので、受け入れられやすい。親や先祖のために何かをしなければならないというのは自然な感情だからである。
 使命感は責任感と一体である。当初は使命感を入れて行動を起こすようにさせ、後には責任感で追い回し使役するのが統一協会のやり方である。
 又、霊界の存在とその協助という考えは、対象者が統一協会員になった時、霊感商法などの詐欺的商法を遂行することを正しいと納得するための、基本の考え方となっている。そして、霊人達の存在やその働きなどということは、客観的に認知したり、科学的に検証することが不可能なものなので、統一協会員が自己の行為の過ちに自分の力で気付くことができなくされている理由のひとつなのである。
エ 原罪=アダムとエバの淫行・堕落論の意味
 第1日目の夜、堕落論の講義がおこなわれる。
 統一原理では人間の心を2つに分割する。そして良い心を本心と定義し、悪い心を邪心と定義する。人間は神が造られたものであるから、本来なら本心のみのはずである。ところが、人間は本心への指向性を持ちながら、我知らず悪を行うという傾向がある。人間にはそのような矛盾性が後天的に生じているのであると説明する。人間に本心への指向性があるのは、人間が神の造られたもので、神が人間に働いているからである。では、人間に邪心が生ずるのは何故だろうか。それは人間に対して悪の主体が作用しているからにほかならない。キリスト教ではこの悪の主体をサタンと呼ぶ。サタンの正体を明らかにするのが堕落論の目的であると冒頭に講義する。
 分かつことの出来ない人間の心を本心と邪心に分割して、その一方に神を、他方にサタンを結びつけるのは、サタンの実在を受講生に納得させるためのテクニックである。誰だって、嫉妬や妬み等々の感情を持っているのであるから、その存在とサタンを結びつけられると、本来ならば神によって創られた者であるという創造原理との対比で、サタンの存在にリアリテイーが与えられるのである。
 神の行為を妨害する悪の主体としてのサタンの存在を信じさせることは極めて重要なことである。サタンがリアルな存在になればなるほど、統一協会員は恐怖にとらわれることになる。
 その後、堕落論の講義は聖書創世紀失楽園の物語についての原理的解釈が続く。罪の根とは一体何か、生命の木と善悪知るの木とは何か、蛇の正体は何か、善悪の果を食べたとはどういうことか等々。そして、生命の木とは創造理想を完成したアダムであり、善悪知るの木は創造理想を完成したエバであり、蛇の正体は天使長ルーシェルであり、善悪の果を食べたということは、天使とエバの淫行のことを言うと解説する。堕落論のこの部分は聖書のこじつけ的な解釈に過ぎない
 もし、この部分が説得力を持つとすれば聖書という極めて権威のある書物の中に、聖書を1通り読んだだけでは分からないように、比喩的に、人間堕落の原因が解き明かされていること、それをこの講師が説明している理論が解き明かしたのだということに納得した場合であろう。
 聖書創世紀の原理的解釈そのものはあまり成功しているとは考えられないが、その結論として堕落の原因を人間始祖の「淫行」に求めたのは統一協会にとって大成功であった。なぜなら、罪というものを理解し実感するにあたって、性的な問題は極めて判りやすい、納得しやすいものだからである。
 統一原理では「社会制度の改善や教育、または経済的な基盤を発達させることによって、他の多くの罪悪を防ぐことができるけれども、文明が発達し、社会的、経済的環境が良くなり、安定した生活が守られているにもかかわらず、激増する不倫、退廃の犯罪を誰も防ぐことができないのが現実です。」と解説する。人間の罪=不倫、退廃ということになれば、現代社会に社会的リアリティーは山ほどある。自分の問題として考えて見ても、我々自身、時と状況さえ揃えば、配偶者以外の人と性的な関係を持つ可能性を持っていることを否定をすることはむずかしいのである。
 「淫行」が堕落の原因であることを納得したとしても、神によって完全な人間として成長し神性を帯びるように予定されていたアダムとエバが、なぜ堕落をしたのかということが当然の疑問になる。神が万能であるとすれば堕落は避け得たはずだからである。それに対する答は原理の中にちゃんと用意されている。
 この堕落はアダムとエバの成長期間に起きたことなのである。人間として完成したあかつきには神性を帯びるはずであったアダムとエバは、その成長期間(蘇生・長成・完成の3つの期間がある。その期間がそれぞれまた3つに別れている。アダムとエバが堕落したのは長成期の最終段階完成級であった)の間は、自分の責任で成長を遂げなければならなかった。神は人間についてだけは5%の責任分担を与えたのである。それは人間が、万物の主管主として神と同じような立場に立つために与えられた試練であった。人間始祖たるアダムとエバに与えられた試練は戒めを守ること。取って食べるな(原理では、成長するまで性的な行為をするなという意味になる)という戒めを守ることであった。ところが、その成長途上でエバはルーシェルの誘惑によって淫行し、その後アダムを誘惑して堕落したのである。
 人間についてのみ5%の責任分担があるというこの教えによって、地上天国が実現しない原因は常にいつも永遠に、人間が責任分担を果たしていないからだと説明することが可能となる。宇宙の創造主たる神を、人間が責任分担を果たさないが故にその万能の力を発揮することができず、人間の堕落と苦悩を切歯扼腕して眺めている悲しみの神に変えることができる。
 そしてこの責任分担という言葉は、統一協会内部の統一協会員の任務を表す言葉として日常化されている。統一協会員が、物売りの実践等を地上天国実現のために神から与えられた人間の責任であると考え、その責任を果たし得ていないから、地上天国ができず、神を悲しませ続けているのだと自分を責め、自己の罪意識を深めていくための道具となるのである。
 天使は人間の召使(僕)として神によって造られたものである。そのような天使がなぜ、人間を誘惑して淫行をしたのであろうか。その疑問に対する説明として統一原理で使われる言葉が、愛の減少感と過分なる欲望、時ならぬ時の欲望という言葉である。
 愛の減少感は嫉妬、妬み、羨ましいという感情のことである。神から天使ルーシェル達は愛されていたのだが、神はアダムとエバを創造したあとアダムとエバにより多くの愛情を注ぐようになった。もちろんそのことで天使達に対する神の愛情が減ったわけではないのだが、人間に対して加えられる神の愛情と対比するとそれよりは少ないので、天使は愛の減少感を感じて、神の愛を受けて輝いているエバにひかれて誘惑することになったという言い方をする。
 愛の減少感という言葉で表現される嫉妬、妬み、羨ましいという気持ちは誰もが持っている感情の一つである。そして、人間の創造によって先に創造されていた天使が愛の減少感を覚えるという状況は、妹や弟が生まれた際に、多くの子供たちが体験している幼児体験である。だから天使長ルーシェルがエバを誘惑する動機は愛の減少感なのだという説明はリアリティーがある。
 時ならぬ時という言葉で、神に許されて晴れてアダムと夫婦になる時ではない時に、エバが天使長ルーシェルの誘惑に応え、さらに自己中心的にその罪への恐怖等からアダムを誘惑したということを説明するのであるが、この時ならぬ時という言葉も暗示的な言葉である。「時ならぬ時」に体験した性的な関係が人知れない苦しみや悔恨を与えているケースは少なくないと想像されるが、人間始祖の淫行に時ならぬ時という言葉を使うことによって、そのことを対象者が、我が身に引き寄せて考えるように細工しているわけである。たとえ、そのような性的な体験が苦しみや後悔を現実には与えていない対象者に対しても、この言葉はそれを罪として自覚させ、自分は罪人だと考えさせる効果がある。
 統一原理では人間の罪全体を木にたとえる。罪の根というのが原罪であって、これは人間始祖が犯した血統的な罪(天使長とエバの霊的関係、エバとアダムの肉的関係)だとされる。罪の幹というのが遺伝的罪であって先祖が犯した罪である。連帯罪というのが罪の枝であって、民族的な罪など他人の犯した罪に連帯して責任を負わなければならない罪である。自犯罪というのが罪の葉のことであって自分の犯した罪である。自犯罪、連帯罪、遺伝的な罪は贖罪することができるが、血統的な罪である罪の根だけはどうしても残ってしまう。残ってしまう罪の根から犯罪がまた新たに吹き出てくるので、この罪の根を取り除かない限り人間の罪はなくなることはないと説明される。原罪を木の根にたとえるのは、論理的な説明のできないところをイメージで補うためである。木の絵をなんども書かせて罪の体系を説明されるうち、切り倒されても残っている木の株とそこから出てくる若い芽のイメージが原罪のイメージと結び合わされるのである。そして、原罪を自力では贖罪できないものと説明するのは、メシアの必要性を納得させるためである。
 罪の存在を日本人にとって説得的に説明するために因縁が用いられる。有名な幼児誘拐殺人事件であった吉展ちゃん事件の例が使われる。吉展ちゃんの何代か先の祖先が、犯人であった人の何代か先の祖先を殺してしまった。その恨みがずっと残っていて吉展ちゃんに対する誘拐殺人に帰結したのだという説明をする。これは遺伝罪の説明として用いられている。その他にも、いろいろな有名事件が遺伝罪の説明として用いられる。
 堕落論が植えつけようとする価値観は偽りの愛について自覚させることである。堕落論でいう偽りの愛とはアダムとエバが感じた愛、エバが天使長との間に感じた愛である。その愛を統一原理では自己中心の愛と規定する。神の戒めを守っていけば、理想社会が実現できたのにもかかわらず、天使長ルーシェルはその戒めを愛の減少感を動機に自己中心的な気持ちからエバを誘惑して破る。それに応じた後、エバは罪を犯したという自覚からくる恐怖、それから逃れたいという自己中心的な気持ちからアダムを誘惑して、悪を繁殖させてしまう。いずれも自己中心の愛と性が人間を堕落させたのだと説明する。
 そのように説明したうえで「自己中心の愛と性が人生を狂わせ、家庭を破壊し、社会を狂わせている。いい加減にはできない。人生を狂わせ、社会を狂わすすべての根源が生まれながらにして持っている原罪であることを意識させるのである。そう、我々は時と状況さえ揃えば、堕落する本性を持っているのである」というように説明されると、これは自分の現状に照らして説得力を持つ場合がある。
 堕落論の講義の課題は自分がいままで理想と考えていた愛や性が自己中心的なものであり、それがすべての罪の源泉であるという考え方を受入れさせることである。
 それに対して真の愛、真実の愛というのは、神を中心にして神の定める秩序に従った愛であるという。神を心に感じ、お互いに成長していって結ばれるのが真の愛であるという。
 なお、親との間に葛藤を抱えている対象者の中には人類全てが堕落人間であることを知って、自分の親を客観的に見ることができるようになり、解放感や積年の葛藤に整理をつけることができたという気持ちを持つ人もいる。堕落論にはそのような機能もある。
 また、原理の神を悲しみの神とする機能がある。神の悲しみは子であるアダムとエバが親である神の戒めを守らず堕落したことが出発点である。神は人間にだけは責任分担を与えた。人間がその責任分担を果たさない限りは神は人間を救済するわけにはいかないのである。したがって、神はエバがルーシェルに誘惑された時にも、エバがアダムを誘惑して堕落していく時にも、何も手をだすことができなかった。それは、人間の責任分担の時に発生していることだからである。神は悲しむことしかできなかったのである。
 堕落論の講義が終わった後で、班長は「堕落論の講義を聞いたことは、我々にとっては実は希望なのだ」と講師が話していたということを伝える。受講生にはなぜ堕落論が希望なのかという思いが沸く一方で、明日の講義に期待を持つ気持ちが生まれる。明日の講義で堕落人間が救われる道が提示されるということが暗示されるのである。
 統一協会はこの道が文鮮明の奴隷になる道であることを隠して、「希望」を語るのである。
オ 統一協会員の生活を拘束する理論の教え込みとメシアの再臨への土台
 第2日目は朝8時30分から12時30分まで、復帰原理緒論、アダム家庭における復帰摂理、アブラハムの家庭における復帰摂理等が講義される。
 緒論では、統一協会員を今後拘束することになる重要な考え方が提示される。長成期完成級で堕落した人間が、メシアによって救済されるためには、まず元のところである長成期完成級のレベルまで戻らなければならない(復帰という)のだが、そのためには罪滅ぼしのための条件を立てなければならないとされる。その条件のことを蕩減条件という。願かけ、水ごりなどという一昔前の日本的風習と通ずるものがあるから、この考え方は受け入れられやすい。統一協会員はどのようなことがおきようと、文鮮明やアベルのやり方が誤りであると考えずに、すべてを自分の責任ととらえ自己処罰するように訓練されていくのだが、そのような教育を完成していくための理論的根拠が、この蕩減条件という考え方なのである。過酷な蕩減条件をやり抜くことが、責任分担を全うすることを保証するというように、蕩減条件と責任分担が結びあわされることによって、そのように考えるようにされていくのである。
 長成期完成級段階で堕落をして、下に落ちてしまった人類が元の位置に戻るように復帰していくのが人間歴史である。それは神の意思の反映であると説明される。神は堕落した人間を救うために、さまざまな時代にその救いの摂理の中心者となる人を定め、その人を通じて人間を救済しようとした。そのような人が地上に存在しない時には救いの摂理は行えない。したがって、人間の復活の歴史は、統一原理では、神の定めた救いの中心者たる人物の歴史となる。
 その人間歴史の例として、アダム家庭(中心者アダム)、アブラハム家庭(中心者アブラハムとイサク)の場合が説明される。これらの講義は、後のイエスの場合の復帰摂理と文鮮明による現代の摂理の伏線となる。
 これらの講義の目的は人類歴史の失敗を明らかにすることによって、受講生が統一協会員となった場合に守らなければならない規範やタブーについて人類史上の教訓を与えることであるとともに、人間の愚かさを強調することによって、2デイズ最後の講義である歴史の同時性の講義のインパクトを高めるとともに、私ならあんな愚かな失敗をしないという気持ちを抱かせ、再臨のメシアによる現代の摂理が困難ではないと誤解させることにある。
 アダム家庭における復帰摂理の成功の鍵はカインがアベルに対して屈伏し、全面的にアベルに対して侍る(はべる)ことであった。ところが、その点でまさにアダム家庭は失敗してカインはアベルを殺してしまうのである。カインがアベルに対して侍ってさえいれば人類はそこで救済された。そう考えると、カインがアベルに対して侍らなかったことはどんなに罪深いことであろうか。この講義は統一協会員がアベル(上司)の指示に対して絶対に従わなければならないと教えられ、そのことが正しいと考え、そのように行動するようになるための、人類史上の教訓、根拠である。統一協会では、人間関係の問題すべてをアベル・カイン問題という。この言い方は問題の解決のし方もすべて規定している。人間関係のすべてはカインたる者がアベルたる者に屈伏して侍ることによって解決されるべきであるというのである。複雑な問題を単純化してある言葉で表し、その問題の解決方法を唯ひとつに限定することによって、その言葉を使って考える人間の思想をコントロールする手法である。
 アブラハム家庭における復帰摂理の中においてはアブラハムが1人息子のイサクを神にささげものとして捧げようとしたという点が、その後統一協会員を縛る人類史上の教訓となる。愛する1人息子を神の指示によって供物として捧げようとしたアブラハムの絶対的な神への信仰が、アブラハムの家庭における摂理の新しい局面を切り開いたと教える。この講義は、統一協会員に対して、自分の最も大事なもの、自分の最も愛するもの(汝のイサクという)を神のため(統一協会のため)に犠牲にせよと教えているのである。この教えによって、統一協会員は困難な献金や断ち切りがたく大切なものを捨て去らなければならないときに「汝のイサクを捧げよ」と自分自身を納得させるようになるのである。
カ 統一協会を不信するなと教えるメシア論
 午後1時30分から3時まではメシア論である。イエスの十字架の死は神の予定ではなく、それはユダヤ民族の無知と不信の結果であると教え、イエスの十字架による死によっては救いの摂理が完成しなかったためにメシアは再臨しなければならないと教える。
 イエスがメシアであることを証明し、そのことをユダヤ民族に証す任務を持っていたのは洗礼ヨハネであった。洗礼ヨハネは名門家ザカリアの子供であり、奇跡的な誕生をし、熱心な修道生活をして、ユダヤ民族からヨハネそのものがメシアではないかと考えられていた。それくらいの信望を集めていたヨハネがイエスをメシアであると証せば、ユダヤ民族が全体としてイエスをメシアとして信じ受けいれ、侍ることになるはずであったけれども、洗礼ヨハネはまさしくその点で失敗をした。ナザレの田舎者の貧しい無学の青年で、神を冒涜し、律法を廃し、道徳を破壊するものと指弾されたイエスを、メシアであると証し、それに絶対的に侍ることができなかったのである。
 その結果、イエスは十字架への道を歩まざるをえなかった。ユダヤ民族の不信のために彼は十字架にかけられることになった。
 イエスの肉身は捕えられ裁判にかけられてゴルゴダの丘で十字架に架けられた。我々の不信が、人間の救済のために神が地上につかわしてくれた神のひとり子であるイエスをしてゴルゴダの丘で死に至らしめたのである。イエスの肉身はサタンに奪われた。その結果、肉的救済はイエスによっては達成されなかった。その肉的救済を完遂するためにメシアは再臨しなければならないという講義をするのである。
 この講義は、第1に受講生に人類の罪を自覚させることを目的としている。イエスに対する不信とイエスに対して完全に屈伏して侍らなかったことが、イエスの復帰摂理が成功しなかった理由である。成功していれば創造目的は達成され、理想社会が生まれていた。ところが、人類の不信によって摂理は失敗したばかりではなく、神がわざわざ人類の救済のためにつかわされた神のひとり子であるイエスが殺されたのである。その罪はユダヤ民族の罪であるばかりではなく、人類の罪であり私の罪なのである。
 第2に、この講義はその後統一協会員に、統一協会の教えや行動について一切の疑問を抱かせないようにするために強烈な作用を果たす。統一協会員は人類に対して洗礼ヨハネの立場である。再臨のメシアをメシアとして証していかなければならないのである。同じ過ちを犯してはならない。再臨のメシアとそれにつながるアベルを不信してはならないのである。この講義と祈祷や思考停止の技術等を組み合わせることによって、統一協会はその構成員をロボットに変えることができる。
 第3に、神の悲しみの心情がいっそう受講生に迫ってくる。たったひとりの子供を人類の救済のために地上につかわした親である神の心に反して、人類はそのひとり子に不信をしてしまうのである。神のひとり子であるイエスの肉身はサタンに奪われてしまった。それを見ていた神の悲しみの心情はいかばかりであったろうか。胸掻きむしられるような、どんなに号泣してもおいつかないような神の悲しみが伝えられる。
キ 突然の希望・再臨のメシアが今・・・
 最後の講義が午後3時からの歴史の同時性についての講義である。2000年と400年という年数をトリック的に扱うことによって、1517年のルターの宗教改革以降をメシア再降臨準備時代と規定する。そして1917年から1930年の間に再臨のメシアはこの地上に降臨していると説明する。
 今まさにメシアがこの地上に存在しているのである。メシアが地上に存在していなければどのような篤信者であろうと、どのような義人であろうとも地上天国を見ることはできず、天国に行くこともできない。人間が救いを全うするため(即ち、原罪を脱ぐため)にはメシアである中心者に侍って、それに従順に屈服してその指示に従うことによってのみ可能なのである。
 したがって、メシアが今この地上にいるということは信じられないほどの歴史的な幸運である。講義の中では、メシアが今この地上にいることと、受講生がいまこの真理に導かれつつあることとの双方が成立する確率は、スッポンが太平洋で頭を出した時に、その頭に流れ星が当たる確率と同じ位の確率であると言われる。ところが、この段階ではメシアが誰であるかは証されない。メシアが誰なのかは、次のライフトレーニングで明らかにされると伝えられる。
 第1日目の夜に行われた堕落論以後、講義は、重い、苦しい人間の罪悪歴史をずっと語っていく。復帰の道が示されながらも、それを理解することが出来ない人間の愚かな失敗によって、創造目的が成就されないことがずっと持続されていく。そのような重苦しい状況のもとで、今ここに救いの主、再臨のメシアが地上にいるということが証される。これは大きな輝きを放つ救いとなる。堕落人間が今、救われる可能性がある。あと力を尽して何年か頑張れば、地上天国が出来あがるその歴史的な好機に生きているのだと力説されるのである。そのような状況で、ライフ・トレーニングへ進むことを決断させるための班長による最後の面接が行われる。

(3) ライフトレーニング
ア すぐにメシアを証さない
 ライフトレーニングにおいて、すぐメシアを明らかにしないのは、対象者の意識をメシアは誰かから、私にとってメシアが必要というレベルに上げるためである。そのための教え込みが行われる。
イ 神について
 第1回目は神についてである。原理の神は親たる神であり、人間である我々はその子どもであると教える。神の愛は親の愛であるから無条件で絶対的で無償の愛であるが、我々の愛は相対的な愛で条件付きの愛だと教える。どのように愛せない人についても祈る事すなわち神と授受作用を行うことによって、自分が変化して愛せるようになると教える。祈ることの意味づけが初めて与えられる。現実に祈らせることが始まるからである。
 肉身生活の目標の1つは霊人体の成長であるが、自らの善行とともに神の愛を感じられるかどうかが霊人体の成長のポイントであるとされ、神を中心とした生活・神を意識した生活を送ることの必要性が教えられる。
 そして、具体的には、受講生は毎日の食事の時の話合いのなかで「今日、神様にであった人は?」と聞かれる。それは神を意識した生活を日常的に行うように操作しているのである。毎日のことでもあり、受講生は無意識のうちに班長や集団の中での評価を求める気持ちとなり、報告のために「今日は、何が神様の働きだったんだろう」と考えるようになる。神の働きを意識することはサタンの働きも意識することになる。統一協会員の思考法の際だった特徴は神とサタン、善と悪の2分法によって、世界をみ、判断するようになることであるが、そのような思考パターンへの導入がすすめられるのである。又、全ての出来事を神とサタンによるものと考えるようになることによって、社会の出来事などや災害などの自然的出来事なども、その原因を合理的には考えないようになる。だから、他者の合理的、科学的説明や説得も効かなくなってくるのである。
ウ 祈りについて
 第2回目は祈りについてである。具体的な祈りの方法が教えられる。心の持ち方としては、「素直な心情で、幼い子どものように祈る」こと、形式的には「愛する天のお父さま、・・・・真の主の御名(みな)を通してお祈りいたします。アーメン」とするように教えられる。祈る内容は感謝の祈りから悔い改めの祈りへ、悔い改めの祈りから求める祈りへ、求める祈りから決意の祈りへ進めるように教えられる。統一協会員にとって祈祷とは祈闘だと教えられる。
 その構成員に自覚せずして自己催眠と思考停止を行うようにさせるための道具である祈りが、少しづつ始まるのである。
エ 人生の目的について
 第3回目は人生の目的についてである。
 3大祝福について再度講義が行われる。個性完成とは神と一体となることであり人間が神性を帯びることである。1人1人の人間には唯一無二の価値があり、天宙的価値があると教える。
 子女繁殖とは神の下で神の息子たる夫と神の娘たる妻が真と愛とで結びついて子どもをつくることで、そのことが最大の理想であり、最大の幸福であると教えられる。それは永遠・不変・絶対の価値であるという。この部分の役割、機能は、神の愛を実感させ、理想社会の素晴らしさを感じさせ、その社会実現の道筋が、真(まこと)の結婚によるのだと若い男女の希望にあわせて、説明されていることである。文鮮明の手による合同結婚式を「祝福」として受け入れさせていくための伏線にもなっている。
オ 罪について
 第4回目は罪についてである。
 統一協会にとっては、ごく普通の生活を送ってきた若者に罪の自覚を持たせることが決定的に重要なことである。罪の自覚をもって初めてその人に統一協会のメシアの必要性を納得させることができるし、罪の清算のために、統一協会に献身させることもできるからである。
 そのための手法として人間の心を本心と邪心に分割すること、堕落性本性としてたくさんの心の動きを示すこと、堕落の原因を淫行と説明すること、イエスに対する人間の不信が罪であると講義することは前述した。さらに罪を自覚させるために次のような手法を使う。
 第1は過去の記憶をたどらせることである。人は意識の表層では自分のことを良心家と考えているが、無意識の世界すなわち深層意識の世界では、自分が罪人であることを知っていると講義する。
 人間の脳には膨大な量の過去の体験が記憶として蓄積されている。その中には、自分はその痛さを自覚していないのだが、他人に対して危害や言葉の暴力を加えた体験もある。そのような体験を思い出させることが統一協会のこの講義の目的なのだ。統一協会がアメリカ映画「フラットライナーズ」を見せるのは、その映画が少年期におこなった友人などに対する無意識の加害行為を自覚させるのに有効だからである。そのようなところまで過去の記憶を遡れば、どんな人でもほとんど必ず罪を発見することができる。
 第2は他人の罪をわが罪として自覚させることである。そのために統一協会は木をたとえにして多様な罪の体系とその贖罪の方法を教えこむ。
 自分が犯した罪、自犯罪は罪の葉である。これは刑罰を受けたり、公的な生活(公的な生活とは、統一協会の指し示す生活のことであるが、この段階ではまだ、その具体的内容はあきらかにされていない)をすることによって、贖罪することができる。人が通常考えている罪はこれだけである。
 連帯的に負わなければならない罪があると統一協会は主張する。連帯罪と言いこれは罪の枝に当たる。例えば、日本民族は日清戦争以来のアジア侵略に対して連帯して責任を負わなければならない。イエスの十字架での犠牲に対しては人類として神に対してイエスを不信した責任を負わなければならない。この罪の贖罪の方法も「公的な生活」を送ることである。
 先祖の犯した罪に対しても責任があると統一協会は主張する。遺伝罪といい罪の幹にあたるという。遺伝罪のことを因縁ともいう。この罪の贖罪の方法は信仰を持つこと、先祖供養をすることであると教える。
 最後の罪がアダムとエバの罪、原罪である。これを罪の根という。遺伝罪までは自己の努力で贖罪することができるが、原罪は罪の根であるから幹まで整理しても地中に深く残ってしまう(論理的説明でないことは明らかである)。残った罪の根から新しい罪が生まれるのだと教えられる。罪の根を取り除くためには人はメシアを信じ、メシアに侍らなければならない。ここにメシアの必要性が存在するのである。これが根本的な贖罪の道なのである。
 霊界における罪のメニューまで用意されている。霊界における天法に違反することが最大の罪である。霊界における天法に違反することとしては「不信罪・・神を不信すること」、「淫乱罪・・」、「殺人罪・・愛せないこと、憎しみを持つこと」、「強盗罪・・自己中心的に物を欲しがること」と説明する。これは霊界の存在を信ずるようになった統一協会員の行動を縛る強烈な規範として機能する。統一協会の言うことに不信をもつことは天法に違反することなのである。
カ 復活
 第5回目の講義は復活論である。統一原理における復活とは、堕落によってサタンの直接主管圏に堕ちた人間が、神の直接主管圏に復帰されていく過程的現象である。生きている人間が復活するのは「み言葉を信じて実践する」ことによる。統一協会に入って実践活動をすることであるが、この段階ではそう言わない。すでに死んでしまった霊人の復活は地上人の中の似たタイプの人の霊人体に働きかける再臨協助現象によってである。
 これが、受講生に対して氏族のメシアとしての使命感と責任感を植えつけるために工夫されたものであることは、2ディズの項で述べた通りである。
キ 復帰の対象の拡大・方法の説明
 第6回目の講義は復帰摂理緒論である。人類歴史の使命である復帰とはサタンの血統を転換して神の血統にすることであり、サタン主権の堕落世界を主権復帰して神主権の理想世界に転換することである。この段階で復帰の内容が血統の転換のみではなく、世界をサタン主権から神主権に転換することが明らかにされる。統一協会員が政治活動等の社会的活動を行うことの根拠となる。
 その復帰の道筋は自己の努力によって善なる条件を積み、サタンを自己の内的・外的世界から追放することによって(この過程のことをサタン分立路程という)、堕落前の地位(長成期完成級)にまで戻り、そこでメシアを迎えて新生し(原罪の清算)、その位置からさらにメシアとともに成長し、神と直接交流ができる場、神の直接主管圏まで成長して創造目的が完成することになる。これが復帰の過程である。我々が人類としても個人としても当面しているのはサタン分立路程を歩むことである。元の位置に戻るために必要なことの1つが犠牲を払うことである。そのような犠牲のことを蕩減条件という。したがって、サタン分立路程は蕩減条件を立てて自己犠牲で歩む道である。
 サタンは罪人である自己の内心にまで存在しているものである。湧いてくる罪の思いがその証明となる。それを「分立」していかなければならないのが復帰の道とされていくのだが、その導入的教えである。
 ここまでの講義は2ディズまでの講義を深めた内容になっている。
ク 世界大戦
 これからが新しい講義である。第7回目の講義は世界大戦についてである。第1次世界大戦も第2次世界大戦も神の復帰摂理の発露として発生したものだと説明する。それは主権を奪われまいとするサタンの発悪であり理想世界実現のための蕩減条件である。そして現在第3次世界大戦の危機にあるが、理念闘争で勝利しなければ武力闘争が必発である。理念闘争で勝利する鍵はこの思想を全世界に広げることであると講義する。
 この講義は受講生に歴史には原因があり、世界大戦という人類史の悲劇にも意味があるだという救いの気持ちを与える。また、現時点でのこの思想を広める努力が人類を第3次世界大戦の悲劇から救うのだと煽ることによって若者の使命感を強烈に揺さぶる。霊界などにあまり興味を持たないタイプの人が特にこの講義に感銘するという。
ケ メシアを証す伏線の講義
 第8回目の講義からライフ・トレ―ニングの目的であるメシアを証すための講義になっていく。第8回目が再臨論である。現在がメシア再臨のときであり、再臨の国が、聖書の恣意的引用などで韓国であると説明する。そのなかで、日本が韓国に対して行った植民地支配の惨状を克明に語る。例えば「7奪」とは、韓国皇室を廃位し、神社参拝を強制し(奪宗教)、創氏改名を強制し(奪血縁)、日本語の使用を強制し(奪言語)、同和政策を推進し(奪文化)、財産を奪い、強制徴用によって労働力を奪ったことをいう。3・1独立運動に対する弾圧、関東大震災の際の朝鮮人虐殺等々が語られていく。高校までの日本歴史では日本近代史をほとんど勉強しないので受講生にとっては初めて聞く話である。この話は受講生に連帯罪を自覚させるのにきわめて有効である。
コ 主の路程
 日本の朝鮮侵略のビデオを見せられたあと第9回目が主の路程である。その日までにさまざまな暗示をかけられた受講生に対して文鮮明の人生が語られて行く。文鮮明は1944年10月特高に逮捕され数ケ月間拷問を受ける。1945年2月出獄するのだが1ヶ月間血便が継続したという。水攻め、木を足に挟んで座らせる等の拷問が加えられたと図解入りで説明される。このような扱いをした日本に対して文鮮明は憎悪や怒りの感情を持つて当然なのに、恩讐を超えて我々を許してくれているのだと解説される。
 講義の最後に文鮮明の写真を示す。現在のぶくぶく太った顔ではなく、若く、貧乏で、情熱を感じさせる激しい祈祷をしている横顔である。これならまだ、受け入れられやすいと感じさせる写真である。
 この講義ですぐ文鮮明を再臨のメシアとして受け入れる人もいる。統一協会のやり方でやれば、どのような人物をも再臨のメシアと信じさせることができるからである。
サ 反対派
 第10回目の講義は聖書論という題名であるが、統一協会の言う反対派についての説明である。統一協会員の救出活動をしている和賀真也牧師やズイビイ・パスカル等の名前を挙げて、これらの人達は統一協会員を精神病院に強制入院させて棄教を迫っているとの講義がされる。そのような活動をする理由として、彼らが新しい真理を理解することができないからだ、真理を発見した統一協会は歴史上キリスト教がそうであったように迫害を受けているのだという内容の講義が行われる。
 この講義は、対象者に恐怖を与えることを目的としている。サタンの現実体としての反対派という者達の存在が、対象者を統一協会にしばりつけていくようになる。その過程が始まるのである。
シ 生き方の転換を求める
 第11回目の講義は新生の手順である。人間の生き方として過去に対して責任を持つことが求められる。過去に対して責任を持つというのは氏族のメシアとして因縁を解放すること、先祖を解放することである。
 現在に対して責任を持つことも求められる。現在に対して責任を持つとは「為に生きる」ことである。神の為に生きる人のことを聖人という。人類のために生きる人のことを偉人という。国家のために生きる人のことを義人という。近隣の為に生きる人のことを善人という。自分の為に生きる人のことを悪人という。現在に対して責任を負うということは、もちろん、神の為に生きるということなのである。
 未来に対して責任を持つことも求められる。未来に対して責任を持つとは原罪の清算を自分の代に済ませるということである。「私から、新しい血統が始まる。私から新しい未来が始まる」と言われる。
 過去・現在・未来に対して責任を持つとは、神のみ旨に従って生きることであり、そのことはメシアたる文鮮明とともに生きることであり、統一協会で活動することなのだと言われる。そして、統一協会の会員には専従会員という献身をした人と、実践会員というフリータイムの人と、奉仕会員という礼拝だけをする会員と、探求会員という探究中の会員がいると説明される。
 統一協会では当時すべての若者を献身させた。そう努力した。文鮮明のためにその人生を捧げさせるためには、その人の、それまで築きあげた社会や家族との繋がりを切断しなければならない。依拠する集団が統一協会のみであるという状態にしないければそのような犠牲を持続させることは困難なのである。統一協会は4ディズの中で、集団的な感情の高揚状態を作り出し理性の働きを抑えた上で受講生に献身の決意をさせてしまう。たった4日間の4ディズでそのような決断をさせるためには、ライフ・トレーニングで献身という道があるのだということを示しておいたほうがいいのである。その際、献身しか道がないということであれば、この段階の受講生はそれを受け止めることは困難であるから、献身以外の可能性もあるかのように装っているにすぎない。
 この講義は、対象者に生き方の転換を問うている。メシアの存在を知らされた今、あなたはどう生きるのかという問いかけである。メシアと共に生きることによって、天国への道がひらかれる。自己中心的に生きるのなら地獄行きになると信じるように教化した上で、生き方の転換を問うているのである。
ス 薄められた奴隷の規範
 第12回目の講義は信仰生活講座と呼ばれる。内容は統一協会員となった場合の、基本的な生活・行動の規範の説明である。アダムとエバは不信仰によって堕落した。神のみ言葉を守らず禁断の木の実を食べた(原理では、性的関係を持ったこと)ことによって堕落した。私たちの課題は、当面、堕落前の状態に戻ることであるから、み言葉を守ること、信仰生活を送ることが必要になると言う論理である。堕落した人類は生まれ変わらなければならない存在であるから、生まれ変わるための信仰生活は堕落前の位置に戻るための生活と言う意味においても蕩減生活(自己犠牲の生活)でなければならない。
 堕落によって万物以下の位置に堕ちた人間の信仰生活の第1の課題は、万物を主管することである。すべてのものには、神の創造目的があるのであるから、神の願い、神の喜びのためにそれを用いなければならない。例えば、お金なども、自分の欲望の充足のために用いてはならないのであって、公的な目的の為に用いなければならない。万物を主管するのであって万物に振り回されてはいけない。そのためには、物に対する欲望、執着心を捨て去る事が求められる。これは統一協会員となる人に全財産を統一協会に献金・献品させるための最初の伏線である。
 堕落の原因は、アダムとエバの淫行である。従って、男女関係を持たないことが信仰生活の最大の課題になる。恋心を持つことももちろんご法度であり、それはサタンの働きである。神の愛は与える愛であり為に生きる愛である。それに対してサタンの愛は、自己中心の愛であると説明される。
 アダム・エバ問題を起こさないために、次のような注意が与えられる。
 自分の位置を自覚する(神の子としての誇りを持つこと)
 罪の恐ろしさを知ること。
 性をみ言葉で分別すること(み言葉と祈り)
 環境を分別する。態度、服装、言葉づかいに気をつける。
 異性の体には触れない。
 したがって、統一協会の女性達はミニスカートをはかなくなる。
 次なる規範はアベル・カイン問題である。これは上司に対する絶対的服従を求めるものである。カインはアベルを愛し屈伏して、一体化しなければならなかった。それが人類が救済される道だったのである。アダム家庭におけるこの教訓を現在にも生かさなければならない。そのためにホーレンソウ、すなわち、報告・連絡・相談が義務づけられる。ホーレンソウはその人の生活のすべてに及ぶ。事務的事項のみならず、生活的な事項、心情的事項についてホーレンソウしなければならない。
 統一協会での生活は極めて単純である。以上の3つの規範を守り、万物主管の考え方を発展させて説明される物売りをがむしゃらにやっていればいいという世界である。統一協会員をそのような世界に導き順応させるために、信仰生活講座という名目で権威づけられた奴隷の生活の規範の、受け入れられやすいように薄められたものが与えられるのである。

(4) フォーディズ
ア 統一運動・はじめて経済活動が語られる
 第1日目の冒頭に統一運動についての報告がある。統一運動の目的は神の創造理想の実現をはかること、具体的には、地上天国を実現することと愛の人格を完成すること(原罪を清算しさらに成長する)と教えられる、その活動は宗教分野・政治分野・学術文化分野・経済分野に及ぶことが解説される。統一協会が経済活動を行っていることが抽象的に初めて明らかにされる
 創造原理についての講義のうち特記すべき点は、神の創造目的のところで個性完成について当面「3人の霊の子をつくること、万物復帰を行うこと、12通りの異なった性格の人を愛することができるようになること」という具体的な目標が与えられ、それが達成された段階で「祝福」(原罪を脱ぐための儀式である)を受けるということが説明されることである。祝福を受けるためには、他者に働きかけることが必要なこととされてくるのである。創造原理、堕落論については2ディズでのそれに比べてとても詳しくなっているが、この講義の果たす役割について変化はない。
イ サタンのザン訴・恐怖を与える道具
 復帰摂理・緒論では、サタン分立路程が解説されている。人間はアダムとエバが堕落した長成期完成級まで復帰してそこでメシアを迎えて新生(原罪を清算)し、メシアに従って更に成長して創造目的を完成しなければならないのであるが、我々の現在の課題は堕落した位置まで復帰することである。その期間のことをサタン分立路程という。堕落人間はサタンと一体となっているので、サタンと自らを分離しなければメシアを迎えることはできない。サタンを分立する方法は善の条件、蕩減条件をつみ実行することである。蕩減条件を積んで実行してもサタンが「なんだ、あの人は」と批判できるようではダメである。そのような状況であることをサタンのザン訴権があるという。サタンのザン訴権があるかぎり、堕落人間は神のもとにいくことができない。サタンのザン訴権をなくする方法は、サタンすら感動して自然屈伏するような善の条件を積み重ねることである。この教えによって積み上げなければならない善の条件が無限の高さになりうる。この教えによって、具体的な活動を開始するにつれ日常の活動が恐怖の源泉に転化する。
ウ 主の路程
 主の路程の講義は文鮮明の生涯についての講義である。ライフ・トレーニングの講義よりずっと詳しくなっており、次の部分が重点とされている。
 解放された韓国に「韓国動乱」が発生する。平城で伝道していた文鮮明は逮捕され、1948年5月20日、興南特別労務者収容所に5年の刑で収容される。そこの生活条件はきわめて劣悪で、食事は1食御飯3口分であったという。
 そのような食事量で囚人達は硫安40キロを袋に詰める仕事を1日で1300袋しあげなければならないと命令されていた。囚人の80%が3年で死亡するという苛酷な条件の中で、文鮮明は「半分の食事量でも自分の仕事の分担を果たすことができる」「私は最も難しい仕事をして、それでも、3年たっても、10年たっても死なない」と自分に言い聞かせ、模範囚になったのだという。
 10月13日国連軍が興南収容所を爆撃した。それにともない収容所側は囚人の虐殺を開始した。興南強制収容所は24日午前2時解放されたが、その時までに殺害された囚人の番号は595番だった。文鮮明は596番だったのである。奇跡的な運で殺されることを免れた文鮮明は240キロの道程を10日間歩いて平城に到着し、その後弟子達と共に釜山に到着し、そこで原理原本を執筆し、54年5月1日世界基督教統一神霊協会を設立したと講義される。
 文鮮明は、超人的努力と聖人的に高潔な人物であり、奇跡的な幸運にも恵まれた人物として描写されている。そして、恩讐を超えた愛の人である。
エ 天国近しを誤解させる現代の摂理
 勝共理論とは極右的な国際情勢論である。共産主義に対抗するために自民党を変えて統一原理の方向に持ってくることが課題とされ、北海道新聞、久米キャスターが攻撃されている。
 現代の摂理は文鮮明の活動の歴史を語る。創立の際の落ちぶれた協会から見れば、統一協会がその活動を世界的に広げてきた(その秘密は「マインド・コントロール」の技術を用いた組織拡大活動が効果をあげたのと、日本における霊感商法等の成功による資金力であるが)ことは明らかであるから、受講生に地上天国実現は近いと誤解させる。
オ 献身の雰囲気を盛りあげる聖歌
 聖歌のもっている意味も重要である。例えば聖歌集23番「全て捧げて」は次とおりである。
1  我等は主の召し受く、まことの勇士ならば
   神の証たてるその日その時まで
   闘い抜こうよ 1つとなりて
   すべての命捧げて御旨なるときまで
   ただ主のために闘い抜こうよ
   すべて忘れ、すべて捨てて
2  我等は主の選びし光の勇士ならび
   神のさかえきするその日その時まで
   切り開け闇を 1つとなりて
   すべての情熱捧げて
   御旨なるときまで
   ただ主のために闘い抜こうよ
   すべて忘れ、全て捨てて
3  我等は主につづく命の勇士ならば
   神の愛の技なるその日その時まで
   勝ちてすすめ 1つとなりて
   この身すべて捧げて
   御旨なす聖徒とならん
   ただ主のために闘い抜こうよ
   すべて忘れ、すべて捨てて
 これなどは、献身の決意をさせるために極めて有効な聖歌であろう。
カ お父様の詩・嗚咽・・・・
 3日目の夜は部屋全体を暗くして蝋燭をつけて、お父様の詩が朗読される。これが行われるのは主の路程の講義の後であり、4デイズの最後の夜である。このお父様の詩を朗読するためにはオーデションが行われて、声のいい班長が選抜される。電気を消して蝋燭をつけるのは注意を集中させるための工夫の1つであり、通常とはちがった雰囲気をかもしだすためである。詩の内容は次のとおりである。
 お前は1人で生まれてきて1人で生きているのではなく
 私があるからお前があり、お前があるから私があるのだよ
 お前の罪は人類の罪だ。
 お前が勝たなければお前よりもっと苦しんでいる人たちはどうするのかね。
 お前には責任があるのだよ。
 私もお前なら勝てると思ったからこそ、信じているからこそ
 今までお前を導いてきたんだよ。
 例えお前が私を信じなくても、私はお前を信じ愛しているのだよ。
 私は報酬を望まない。どんなに今までうらぎられてきたことか。
 それでも私はお前たちを愛して信じてきたのだよ。
 お前がどんなに否定しても、お前は私のかけがえのない娘だよ。
 お前の罪の故に、お前の苦しさ、悲しさの故に
 私はお前以上に耐えてきたのだ。
 暗闇の中をお前は1人で歩いて来たのではなく
 いつも私がそばにいたのをお前はどれだけ知っていたのか
 ごらん、木々の緑の中に、小川のせせらぎの中に、
 私の愛が聞こえるだろう。
 私はこんなにお前を愛しているのだよ。
 さあ、信じてごらん。
 お前の中の私を愛してごらん。お前の中の私を。
 お前が立ち上がるまで、お前が勝利者となるまで、私はいつでもそばにいてお前をみているよ。
 私はお前の親だから、離すことはできないのだよ
 闘って勝利して私を喜ばせておくれ
 私の信じた娘は、私の愛した娘はこんなにも成長しましたと
 神の前に、サタンの前に誇ることができるお前であっておくれ
 罪が少なくて勝利することが簡単だった者より
 罪が多くて勝利することが困難だったものが勝利してくれた方が
 私にとってどれ程大きな希望となることだろうか。
 この娘は本当に罪深かったけれども今ではこんなに成長しましたと
 私に言わせておくれ
 お前と2人で天のお父様の前に報告にいける日を
 私は唯一の楽しみにしているよ。
 がんばるんだよ。
 何故、私がお前を愛したか。
 それは、お前が私の真実だからである。
 今日までお前は自らの内にある罪のために、汚れのために悩んできたね。
 けれどもそういうお前を、この私が1度でも責めたと思うか、
 非難したと思うか。
 又、そのようなお前からみにくいと言って顔をそむけたことがあると思うか
 そういうことに故に、お前が苦しみ悩む前に私自身が涙を流したのだよ。
 数々の罪を持って生まれて来なければならなかった哀れな立場、
 そういう立場に立たせなければならなかったお前の故に
 お前が悩む前から私自身が悩んだのだ。
 私がお前に与えた生命の故に、
 私はお前を愛したのだ。
 お前は私の子なのだ。

 聖歌のBGMの中でこの詩が暗い部屋で朗読されると、各所で嗚咽、泣き声が始まり、それがあっという間に全体を覆っていく。文鮮明は神の愛の体現者としてあらわれるのである。理論的な説得ではなく、情緒的な感情の高揚を作り出して、メシアである事を受け入れさせるのである。

(5) 新生トレーニング
ア 災厄の甘受を教える復活論
 冒頭の講義は復活論である。復活とは堕落人間がサタンの主管圏から神の主管圏に復帰されていく過程的現象であるが、復活することによって人間は神の愛の主管圏に入るので、サタンの住まいから神の宮へと聖化される。そのことによって外的な変化はないが内的には天地の差があり、霊的位置背景が変わり、変なことで悩まなくなると講義して、まず希望を与える。
 悪霊人達の復活の方法が講義される。悪霊人は地上人に対して事故や病気という形で苦痛を与えるのだが、地上人がその苦痛を甘受して、その苦痛を受け入れて愛を悪霊人に返すことによって、悪霊人も復活できると講義する。この講義は、統一協会でのこれからの生活において降りかかるすべての災厄を、組織や厳しすぎる活動のせいであると考えるのではなく、悪霊人の行為であると考えさせ、それをすべて甘受させるための思想的な操作である。
イ 統一協会員の日常生活を律する規範・信仰生活講座
 翌日と翌々日に信仰生活講座という講義がある。
 まず、万物主管が信仰生活上の課題となる。物(金、地位、名誉、権力等)に執着していては絶対に神にであえない。最も自分が執着している大切なものを神に捧げることが神と出会う出発点であると教える。
 万物は全て本来神のものだととらえさせる。自分の能力も技術も体も性格も地位も名誉も財産もすべて神のものなのであるから、神が喜ばれるようにそれを用いなければならないと教えられる。自分の能力も神のものである。神のために使わなければならない。そのために自分の肉体も主管しなければならない。食欲や睡眠欲、肉欲を満足させるのではなく、それらを否定し、自己の肉体のすべてを神のために使わなければならないと教える。
 万物の象徴であるお金の使い方について次のように教えられる。お金の使い方にはサタン的出費がある。これは非原理的な目的に使うことであり、たとえば非原理的な雑誌を買うとか映画を見る、遊び、酒などのために使うことで、このような使い方をした場合は天法にひっかかる。神的な出費がある。神的な出費には2つあって、カイン的出費とアベル的出費があると教えられる。カイン的出費とは自己の目的のために使うもの、衣食住などに用いるもので、アベル的出費とは全体目的のため、献金や伝道や奉仕などのために使うことをいう。アベル的な使い方がもっとも立派なお金の使い方として勧められる。統一協会に対する献金や献品は世界を地上天国に変える目的や伝道を維持するために使われると教える。したがって献金や献品する人の気持ちは、神の救いの恵みに対する感謝、神のみ言葉を勧めたいというという願い、そのような願いをこめて心から感謝してささげることが必要なのだと教えられる。そのような気持ちをもって献金することで、万物に支配された人生から神に支配された人生に変わっていくのだと教えられる。
 この講義は今までの万物主管の講義と大きく違っている。いよいよ統一協会の本音、統一協会のために対象者の資産や能力のすべてを奪うことが読み取れるようになっている。残念ながらこの講義を聞いている対象者は、当面の生活が蕩減生活であるとの教えを受け入れているので、統一協会の本音を理解することが出来なくなっている。万物主管について最初からこの講義をした場合、この講義だけでほとんどの受講生は拒否反応を示すことは明らかである。
 アベル・カイン問題が次の問題である。下部の人間の上司に対する絶対的服従を作り上げるための講義である。カインは愛の減少感を克服する使命があり、兄弟と戦う時こそ成長する時であり、神とであう時と説明する。いかにアベルを完全な人間として行動するように操作しても、問題が発生するのが常である。アベルに対して侍ることを要求されているカインの立場の対象者が嫌にならないように、その問題に耐えることができるように思想的な操作をしているのである。
 感情によって行動していてはいつまでも神にであえない。み言葉で行動すること、み言葉を深く学んで、日常をみ言葉的に判断すること、それによって勝利することができると講義する。問題解決の方向を統一協会に深入りする方向に誘導しているのである
 カインの生活態度は不平不満を持たない、謙遜な態度でなければならない。どんなこともアベルに対して報告・連絡・相談(ホーレンソウ)しなければならない。統一協会の内部は極端に絶対主義的な権力構造になっている。下部は上部に対して侍らなければならない。そのような組織体制に慣れさせることと、自分の頭で考えない人間を作ることが課題である。自分の頭で考えない人間を作ることは、心理的に矛盾なく霊感商法などの犯罪行為をおこなうことができるようにするために必須のことである。スタンレー・ミルグラムの研究によると、権威的支配のもとで人は、自己の行為に責任を感じなくなっていくという。彼は権威の命令を実行しているにすぎない。彼の関心は命令をいかに完全に遂行するかという点に向けられ、自分の行為の意味、影響に及ばなくなる。それらの問題を考えるのは権威の役割だからである。
 アベルとしての生活は2つの側面がある。子女としての側面では、祈祷生活、蕩減生活、み旨による武装が課題である。父母としての側面では「父母の心情、僕(しもべ)の体」というのがスローガンである。カインに対して父母のような気持ちで、行動は僕(しもべ)のようにへりくだっていなければならないということである。
 そのように包容力あふれる理想的な人間として行動するように先輩となる統一協会員を教育して、従うことを強制されるカインたる対象者が無理なく先輩に従えるように操作しているのである。自然屈伏、感動屈伏、感動主管という。先輩もアベルの理想形を心に描いて行動するので、生活が引き締まりより統一協会員らしい統一協会員に自分を変えていく。
 アベル、カインの講義は、従前の内容に対比してはるかに詳細かつ具体的になっている。対象者が具体的問題に遭遇するような事態になってきていることの反映である。このような話もこの段階で初めてされることであり、献身の決意の前に話されていれば、献身しなかった人がたくさんいたであろう。
 3番目がアダム・エバの問題である。アダム・エバ問題を起こさないための極めて細かい注意、指示がある。
 まず第1に自己の位置を自覚することが求められる。自分は再臨主によって血統転換される神の子であるという自覚を持つこと、自己本位な愛はそれに対する反逆だと捉えさせる。
 2番目には、人を恋することにつながる感情、心の動きを文鮮明のみ言葉によって分別・整理、屈伏することを求める。恋愛感情に発展する情はサタン的情として排斥される。それは「自分が慰められたい、認められたいという気持ち、相手の外的なもの、容姿・動作・言葉等を求めそれに引かれ独占しようとする」という心理である。
 それに対して天の情とは「永遠の生命に責任を持ち、み旨のために生かしたいという気持ち、相手を尊重する心をもつ」ことだと説明される。自分が認められたい、慰められたいという気持ちが発生した時や、異性の容姿にひかれた時にそれをサタン的情として抑えることを要求する。
 3番目には「堕落人間の情の特徴を知ることを求める。男性の情的な特徴は女性に対して自分を主体として誘惑し愛を独占しようとすること。独占欲を持ち、自分の実力をみせつけたい、恰好良さを認めてもらいたい」等々の気持ちをもつ傾向があると教える。女性の特質は男性に対して「愛されたいという気持ちが強い。良い女性だと思われたい、愛の独占欲が強い、自分だけ意識されたい、かわいがられたい、動作、服装などで不分別な態度をとる(誘惑的態度をとること)。アベルの愛を独占したいという気持ちを持つ」と教える。相互に探知しあえるように情の特質についての知識を教える。
 4番目には初期の段階で解決することが大事だと教える。神は必ず警告を与えるのだから自分の本心に聞けば(恋心が芽生えたのかどうかは)わかる、祈りの生活をする中でそのような情の動きを初期の段階で探知して解決せよという。
 5番目には、解決する方法としてアベルに相談し指示を受けることと教える。
 6番目の注意は自分の弱さを知りメシアに繋がることだという。愛の問題に自信をもってはいけない。自分自身が信じられない存在なのだと教える。
 7番目には、罪を犯したときの恐ろしさを知れという。み言葉を聞く前と後では違うのだと脅す。真理を知ってしまった以上、罪を犯すことはより一層大きな罪となるのだ。それはメシアの苦労に対する反逆であり、相手をも地獄に落とすことになるし、生まれてくる子供をも地獄へ落とすことになると教える。
 8番目に環境を分別することを要求する。異性の体には絶対に触れないこと。絶えず言葉づかいに注意する。身だしなみに気をつける。だから統一協会の女性たちは髪を短く切る(長い髪は男性を誘惑するのだという)。ミニスカートをはかず足先までのスカートをはいている。ノースリーブ等ももちろん着ない。個室に男女2人にはならない。車にのるときにも助手席には乗らない。夜おそくまで異性間で話合わない。異性のところには1人では訪問しない。非原理的な雑誌やテレビを見ない。歌や音楽も非原理的な物はやめるよう要求する。
 実にこと細かな禁止事項である。考えてみれば若い男女が1つの屋根の下で寝泊まりし、共通の目的を目指して一緒に行動するのであるから、恋心が目生えるのが当然なのである。しかし、統一協会はそれを絶対に禁止しなければならない。恋心を抱いた2人にとって、アベル・カイン問題とかホーレンソウなどは、2人の恋に対する妨害以外のなにものでもないだろう。恋という人間的感情は統一協会の非人間的な規範を受け入れ難いものにする力があるのだ。恋人同士になった2人は、まちがいなく統一協会を離れてしまう。そうなっては統一協会の今までの努力は全く水の泡になってしまう。そして恋心は一旦火がついてしまえばしばらく対処の方法がない。禁圧すれば燃えさかる。したがっていかに早期に発見し摘みとるかが課題になる。そうしなければ組織が混乱するだけなのである。
 アダム・エバ問題の講義の際に、心情解放展への直接的な導入として過去のアダム・エバ問題を清算することが要求される。原理を知った今後は教えのとおり生きるとしても、知らないですでに犯したアダム・エバ問題があるのが通常である。それを清算しなければならない。過去を清算して新しい出発の土台のために心情解放展があると心情解放展の意義づけが与えられる。サタンを分立し、ゼロからの信仰生活を出発するため神に全ての罪を告白することを求めるのである。
 現在恋人がいる人はアベルに相談し指示を受ける。自分なりに処理することを禁止する。人の恋路を邪魔するのであるからやり方によっては統一協会が恨みをかう。別れのためのウソを教えて、統一協会のせいではないように装うには、統一協会が別れの管理をする必要があるのだ。
ウ 自己催眠の技術・祈祷
 次に特徴ある講義は祈祷学である。祈ることの意味を教え込む講義である。祈ることはサタンがもっとも嫌うことであり、サタンの妨害が必ず入る。神がもっとも喜ぶことであり、神と直接繋がる道であると意義づける。サタンの妨害を克服するために絶対に眠らないこと、力の入る姿勢で祈ること、切実な心情をかき集めて祈ること、意識を鮮明にして祈ること、言葉の空まわりをなくすこと、何人かで祈ること等具体的方法を教える。祈りはサタンに勝利するための最大の武器で、困難を乗り越える力を与え、不可能を可能にする力を与え、愛する力、許す力を与えるものだとその有用性を訴える。
 統一協会員の生活における祈りは、統一協会員が自己催眠をかけるためにもっとも重要な役割を果たしているものである。伝道に向かう時、あるいは珍味売りや霊感商法に出掛けるとき、班長として受講生に献身の決意をさせなければならないときなど重大な任務や困難に立ち向かうとき、統一協会員は必ずその前に祈り、自己暗示をかけ精神を集中させ、心をその問題に立ち向かう水準まで引き上げる。祈りは統一協会員の活動力、エネルギーを通常人の想像を超えるレベルにまで高めている源泉である。祈りでパワーアップした心で人に迫れば人を説得することができる。物が売れるしビデオ・センターに人を誘える。そのようなことが起こるたびごとに祈りによって「神や霊界が働いた」と考えるように操作される。その結果祈りの効果を自覚してより激しく祈ることになる。
 また、祈りは統一協会員が風邪をひいて熱があるとか、腰が痛い時などに、それを治す力があると教える。
 徹夜祈祷なども行われる。もうろうとした意識の中で思いを神にめぐらして、6000年間に及ぶ神の悲しみの心情に我が心をよせて行き、それと一体化するという作用を果たす。幻覚等の異常体験を誘発することもある。
 さらにまた、組織や文鮮明に対する疑問が発生しそうになったとき、あるいはヌードなどの載っている非原理的な雑誌を読みたくなったりした時も、祈ることによってそのような気持ちを抑えこむことが可能になる。思考停止の技術である。
 統一協会がその構成員を支配するために祈りはきわめて重要なものであって、これを日常生活で習慣化させるためにこの講義を行うのである。
エ 統一協会商法の思想的根拠・万物復帰の教え
 次に重要な講義が万物復帰の意義と価値である。「実践神学の意義と価値」ともいう。珍味売りを実践神学と名付けるのであるから後者の言い方の方が詐欺性が強い。
 この講義では、自分の血と汗と涙の結晶を喜びと感謝をもって神の前に捧げることが必要であると教える。原罪によって万物以下に堕落した人間は、万物を神に捧げることよってしか神の元に復帰することができないのである。堕落人間が現在堕ちている無原理圏から神の間接主管圏に入るためには絶対に供物が必要なのである、とその意義を説明する。献金などをする時には自分自身が神様に召される代わりに物を捧げるという気持ちが必要なのだ、従って感謝の気持ちで捧げなければならない。この万物復帰の考え方はアダム・エバ問題の講義と一体となって心情解放展で献金をさせるための直接の動機づけとなっている。
 万物復帰の意義と価値についてはさらに摂理的観点からして次のような教えがある。現在の日本はエバ国家である。韓国がアダム国家である。韓国がアダム国家である理由は思想を韓国が確立し提供していることに示されている。統一思想、勝共理論、統一原理を発見した文鮮明の祖国が韓国である。日本がエバ国家である理由は敗戦国であり資源が乏しいアジアの小さな国であるにもかかわらず、戦後40年でGNP世界第2位の国になったことに示されている。これはまことのお父様である文鮮明が神に日本の罪をとりなしてくれて、エバ国家として神に認めさせてくれたからなのである。そしてエバ国家の使命は摂理のための経済、人材の提供である。
 エバは1番最初に堕落したから罪が重い。天使と淫行した後、アダムを誘惑して罪を拡大したのであるから、エバの罪は2重に重い。したがって罪滅ぼしの基準も高い。神やメシアからみ言葉を受けていなくても(統一原理を知らなくてもという意味。すなわち普通の日本人でも)、神とアダムに命懸けで従うという厳しさが求められていると要求する。
 エバは妻である。妻としてはアダムと一体をなしこれを支えなければならない使命がある。文鮮明と一体化し支えきるのがエバたる日本人の責任である。
 エバは母である。母としては子女の教育のため、すなわち全世界のまだ原理を知らない人達にそれを伝えるために、神と文鮮明の心を我が心として全世界に出ていかなければならない。
 以上のとおり、金と人材の両面で韓国と全世界の統一協会を支えることが日本の責任なのだ。日本人の多くを統一協会員とし、その人たちを日本から全世界に送りだしていくこと、日本で統一協会が莫大な金を稼いでそれを全世界に供給していくこと、それがエバ国家としての日本の使命であると教えるのである。
 この講義は統一協会員が霊感商法や定着経済に狂奔して、罪もない日本人の財産権を侵害する思想的根拠である。
オ 三拝敬礼式、聖塩等・特別であることを意識させる。
 礼典についての講義がある。統一協会の四大名節と呼ばれる父母の日、万物の日、子女の日、神の日、それから世界統一国開天日、愛勝日、ご生誕日の7つの祝日が定められている。それらの聖日には三拝敬礼式が行われる。三拝敬礼式は韓国風の儀式である。その三拝敬礼式の行われた後には文鮮明への絶対的服従を誓う「私の誓い」が朗読される。
 聖塩についての説明がある。外からホームに帰ってきた時には、ホームの入口においてある聖塩によって聖別しなければならない。「父と子と精霊と真の父母様と○○の名において聖別します」といいながら塩を体にかけるのである。ホームは神の城であるという意識を作りだすためである。
カ 伝道についての講義が行われる。
 伝道とは救いの道を伝えること、神とメシアを伝え、人生の方向転換をさせる証の技であること、伝道とは神の望みの万民救済の方法であるから神の技であること、伝道とは救いに対する返礼であるから喜びの技であること、と伝道の意義づけが与えられる。
 統一協会員にとって伝道は祝福(原罪を脱ぐための儀式、合同結婚式)のための条件で、少なくとも3名の霊の子を作らなければ祝福を受けられないことになっている。
 伝道を成功させるための自分たちの条件についても教えられる。救いについての確信をもつこと、み言葉を知ること、愛と犠牲の精神、不屈の精神、忍耐、謙虚になることだという。新生トレーニングの最後の日に伝道を実践する。青年アンケートをとりながらビデオ・センターに人を誘うのだが、その準備をさせる講義である。
キ 組織拡大と物売りをさせることが最終目的
 統一協会がここまで長期間行ってきたすべての努力は受講生に万物復帰の意義と価値と伝道の講義を受け入れさせ、信じさせ、その講義内容を実践させるためのものである。統一協会員の生活には万物復帰と伝道しかないのである。
 霊感商法は万物復帰の1つのやり方である。そのあまりのあくどさにこの商法は社会的批判を浴びて表向き中断されたが、統一協会にとって万物復帰(金儲け)は教理上必然である。むしろ逆に、金儲けのためにこのような教えと組織を作ったのであろう。したがって、着物とか宝石とか毛皮とか粗利益の多い商材を選択して、定着経済と称する金儲けを継続しているのである。
ク トータル健康法についてと題する講義もある。
 この講義は高麗人参濃縮液(内部では、マナと称する統一協会の商材である)と遠赤外線サウナ(商品名アセデールという統一協会の商材である)を販売することの意義を学ばせるものである。
 健康は幸福実現の基礎であるという目的を与え、健康に関する現状は北海でアザラシが多数死んだとか、アトピー性皮膚炎でなやむ人が増えていると例を示して恐怖を与え、トータルな健康法は正しい心が基礎にあり栄養と運動と休養と排泄の4つのバランスが大事なのだと健康法を提示する。栄養の側面では動物性タンパク質の取り過ぎによる血液の酸性化が現在の大問題である。したがって健康のためにはアルカリ食品である野菜をたくさん摂取しなければならない。その中でも特に高麗人参はアルカリミネラルが多いと目的の物を押し出し、人参は血管に溜まった余分なコレステロールなどを取ってくれる。根が土の中に6年間も入っているので抗癌作用が強いとか整腸作用をもっているのだという説明をする。
 排泄も問題である。尿や便よりも汗による排泄の方がはるかに解毒効果があると説明する。汗を出させて体内に摂取してしまった毒物を排泄するためには遠赤外線サウナがもっとも有効なのであると説明する。そしてトレーニング生やその家族に高麗人参濃縮液とアセデールを売りつけるのである。

(6) 実践トレーニング
ア 公式7年路程
 実践トレーニングは講義と実践の結合した形態であるが、講義そのものも実践に密着した内容になっている。
 トレーニングの最初に公式7年路程という講義がある。歴史の結実体である我々すべての人間は誰1人の例外もなく6000年の人間の歴史を蕩減復帰しなければならない立場である。長生期完成級で堕落して万物以下(無原理圏)に堕ちた人間は、まず長生期完成級まで蕩減復帰してそこでメシアを迎えて新生(祝福、具体的には文鮮明の手による合同結婚式を挙げること)し、そこからさらにメシアとともに成長して、神の直接主管圏に入り創造目的を完成するのだと教えられる。
 長生期完成級まで復帰するのが人類としても1人1人の統一協会員にとっても当面する課題であるが、その復帰の過程は蕩減条件を立てて自己犠牲で歩む道である。その条件として万人が実践しなければならない課題が3年6ケ月万物復帰(経済)と人材復帰(伝道)を行い、その間に3人の霊の子女を復帰しなければならないということである。万物復帰は困難な課題である。万物をサタンが主管しているからである。人材復帰はもっと困難なことである。
 その困難の先には「祝福」(合同結婚式)がある。祝福が終わったからといって物売りと組織の拡大という課題がなくなりはしない。「メシアを迎えてさらに成長」しなければならないからである。その期間は「分別生活」といって別居生活で籍も入れない。その期間を3年6ケ月、都合7年間の物売りと組織拡大の活動をしなければならない。教えによればその期間が経過すれば、人は個性完成して神性をおびる事になっているのであるが、現実には到底そうならない。統一協会の中でも人間の堕落がそんなに簡単に脱げるものではないと言っている。したがって統一協会員が統一協会の中でしなければならないことは、いつまでたっても物売りと組織の拡大なのである。
イ 万物復帰
 万物復帰の意義と価値についての講義がある。アダム家庭やアブラハム家庭を例示して、万物を復帰することに宗教的意味づけを与える内容である。
ウ 伝道
 伝道学ではビデオ・センターへ街頭で勧誘するのための講義が行われる。伝道とはメシアを証す技であるとその意義が与えられる。堕落人間の人生の目的はメシアに出会うことである。私は「神の心情、メシア、み言葉、霊界」を知った。その喜び、救われた感動を伝えたいというのが個人のレベルでの伝道の動機とならなければならないと講義される。伝道師としての条件は「魂の医師であり、父母の代身であることの自覚を持つことであ」り、伝道が成功する条件はみ言葉が30%、実践が30%、祈祷が40%の割合であるという。祈祷に特別な力点が置かれている。
 霊の子女3人を獲得することはイエスの十字架を越えていく基準であるとされる。イエスが十字架で死んだ歴史的失敗を個人のレベルで克服するには統一協会員が3人の霊の子を獲得することが絶対的な条件とされる。伝道というのは1つの生命を救う仕事であるから死ぬ気でやれと言われる。人材の復帰はまことに困難な課題である。人の生命を復帰する為には汗と涙だけではだめで、まことの愛を投入しなければならないと教えられる。
 実践的には先ず救いの一念をもつことが要求される。堕落していながらそのことを自覚していない人々を救う仕事なのである。救いの一念で行動するから統一協会員の伝道はインパクトを持つ。道行く人達に無差別に声をかけるというのは困難な仕事であるから決意を固めなければできないことであるし、ひたむきな熱心さが道行く人達の足を止め、アンケートに答えさせ、ビデオ・センターに足を運ばせる最大の要因であるが、そのような熱意を作り出すために祈祷が最大の力を発揮する。統一協会員は伝道をするために適切な蕩減条件を立てる。中心者に相談して各人が決めるのであるが、この蕩減条件が今後次第に狂的な様相を帯びてくる。水ごり100杯などといって冷水を体にかける。これが行き過ぎて体を壊す人も出る。このような蕩減条件を立てて実践すると課題に集中する心の状態を作り出す。それが伝道に対する熱意として現れ人を打つインパクトになるのである。伝道を成功させるためには日常生活が原理的に営まれていなければならないと指摘する。これも自分の生活への確信が熱意として現れるという面があるのであろう。伝道に出るまえにはアカデミーで出発式を行い、全員で決意を確認し決意を高揚させる。全体の霊界を1つに整えるのが出発式の目的だと教えられる。街頭に出て、すぐに声をかけることが大事だと教える。逡巡していては声をかけれないのである。直ちに実践することによって出発式の勢いを持続することができる。
エ 展示会思想
 展示会思想という講義がある。統一協会が宗教団体であれば「展示会」思想などという講義がその「教育過程」に存在するわけがない。展示会というのはクリスチャン・ベルナールの宝石、毛皮展、呉服展、絵画展などである。統一協会内部ではブルーあるいは定着経済と言われている経済活動である。定着経済の商品を販売するのは北翔クレインなどの統一協会が設立した販社であるが、販社独自に販売能力はない。展示会を開催しその場で商品を販売するのであるが、その展示会にゲストを動員し霊感商法のヨハネ役を務めるのがすべて地区の統一協会員である。したがって、定着経済は地区の統一協会の活動として取り組まなければ成り立たない構造になっているし、現実にそう行われている。展示会の売上の一定割合が統一協会の地区の実績(売上分)として計上される。高麗人参液とサウナの販売展示会などもある。健康展という。これは統一協会の地区そのものが商品を購入し販売している点が定着経済と違うだけである。実践トレーニング生も家族などを動員する。売れない時には自己動員して高い着物等を買う。そのような活動をさせるための思想的準備がこの講義である。
 講義ではまず展示会をなぜするのかと目的が教えられる。トレーニング生は宗教的救いの為に統一協会に入ったと思わされているので、物品の販売活動がトレーニング生のその思いと結びつかなければならない。そこで今まで教えこんできた思想をベースにして、「展示会はエバ国家である日本の使命である。展示会で勝利したお金は世界の摂理のために使用される。お金を出した人は世界の為に尽くしたことになり、義人、聖人となる。ゲスト個人にとっては本人はわからなくても背後の霊界の救いになるのだ」と教える。ゲストが買うとその霊界が喜ぶのだという。このように教えられるから統一協会員は必死になって詐欺的な商法に邁進するのである。
 展示会勝利のためにはまず祈祷することである。ゲストのために祈ることを要求される。祈るということは「ある事柄を神に関わらせる業」と説明される。祈祷の効果は神、父母の心情に近くなること、善悪に対する分別力がつくこと、インスピレーション(神の啓示)が鋭くなること、自分自身に自信がつくことと教える。万物復帰は困難な事業である。その困難に立ち向かって汗と涙を流し、苦労をして魂が救われるのだと教える。
 たしかに一般的にいって物を売るというのは困難な作業である。その困難を突破する力のうち、最も影響の強いものの1つは販売をする人間と買う人との人間関係の近さと売る人の熱意である。商品を売る人は必然的に対象者の肉親や友人になる。その人達に、それがその人の救いになると考えてする商品販売ということなのである。統一協会の商品販売が異常に成功する源泉の1つがこの点にある。
 2番目に必要なのは中心性、タワー長に対する報告・連絡・相談とその指示に従うことである。対象者の活動の全ては統一協会の管理の下にあるのである。
 3番目に必要なものとして事前のトークが教えられる。5大トークという。「招待制であること、2時間位はかかること、コンサルタントの方がつくこと、私も買ったこと、あなたも買って」というトークである。招待制という意味は1人で来て欲しいということである。1人のゲストをコンサルタント(販社の人間だったり、地区の統一協会員だったりする)と紹介者とで取り囲み販売するためである。社会的比較の制限をするためである。コンサルタントがつくというのは権威の原理の利用でもある。統一協会員にすぎない人間がコンサルタントになってしまう。私も買った、あなたも買ってというのは、社会的証明の原理を利用している。タッパウエアのホームパーティの手法である。統一協会は物の販売も伝道という「思想の販売」もまったく同じやり方でやっているのである。
 売る商品の1つ1つについて克明な「宗教的」意味づけが行われる。例えばクリスチャン・ベルナールの宝石である聖書シリーズについては霊界からの啓示があって作られたものであるだとか、それをもっている人はメシアの運命を相続するのであるとか、象徴的にはメシアを迎えいれたということを示しているのだとか説明をする。そのことによって統一協会員に単なる宝石や呉服を特別な救いのあるものだと誤解させているのである。
オ 霊の親の役割についての講義
 ビデオ・センターを受講することを決定した人に対するアフターケアについての講義もある。心構えとして次のように言われる。「目で多く見てあげ、口で多く語ってあげ、心情で大いに心配してあげ、その人のために多く祈ってあげることが、人を伝道する秘訣である。」
 ビデオセンターの4回目の受講の日には所長に紹介し、所長からケーキがゲストに渡される。ビデオセンターに7回来た人の内80%は2ディズに出席するという統計になっているので必死にアフターケアを行う。霊の子を3人確保しなければ祝福を受ける資格がないので、統一協会員は必死の勧誘活動をしなければならない。祝福が受けられなければ救いを受けることもできないのである。
カ 信仰生活講座
 内部修練会が開催される。1日の日程で修練会を開催するのであるが内容は信仰生活講座である。情的関係を大切にすることが講義される。「本来、お父母様と毎日授受作用しなくてはならないのだが、それは不可能たからより天に近い人と授受して、み言葉に触れ実践する」ことが大切で、情の安定の為に心情のアベル、信仰の母、信仰の友を持てと教える。
 信仰生活上の諸問題として講義されるのは従前どおりアベル・カイン問題、アダム・エバ問題、万物主管の3つのみである。アベル・カイン問題で新しい指摘は「アベルを愛せない」場合の対処が説明されていることである。統一協会の中でアベルと合わないために様々な葛藤を持つことがある。アベルを愛せない原因としては、性格の相違、アベルの罪ゆえの場合、意見の相違がある場合があると類別したうえで、アベルの罪ゆえにアベルを愛せない場合にはアベルとて完全ではないと考えて愛し抜くことを求め、意見が違う場合にはアベルの意見が「み旨」に従った意見であるかどうかをよく考えた上で、よく祈ってからアベルに進言せよと教える。カインの基本的姿勢は「信じて滅びよ」である。
 アダム・エバ問題については、自分達が未完成期(堕落したアダムとエバと同じ)にいること、すなわち今は「時ならぬ時」であること、統一協会員の男女は兄弟姉妹として愛し合うべきことを強調する。アダム・エバ問題は血統問題であり、この問題は自分だけでは絶対に勝利できない問題であると強調している。このタブーは絶対に犯してはならない問題であるということを強調して「神聖にして犯すべからず」という。情をみ言葉で分別することが大切なことと説明されるが、分別するための具体的手段が祈りである。したがって、祈りができなくなったら赤信号と警告している。
 統一協会がアダム・エバ問題をここまで徹底的に警戒する理由は先に分析したように、非人間的組織である統一協会の中で人間的な恋愛が発生するとその2人が組織を離れるだけでなく、統一協会の目的とする物売りや組織の拡大の為の活動の効率が落ちるからであるし、これらの活動の結果として与えられるはずの祝福(合同結婚)の輝きが落ちてしまうからである。
 万物主管の問題として新しい問題が提起されている。万物も現在はサタンが主管しているものであるが、統一協会の内部にある物はサタンに対して対価を支払って復帰したものである。統一協会の物である公金、物品、建物、車等を非原理的目的や私的に使うと天法に引っかかると脅される。統一協会内部は完全な上命下服の絶対主義的な世界である。下部からの批判や統制は一切考えられていない。資金の使途などについては完全な秘密である。たとえば、札幌地区の会計担当者は「ホワイト・ハウス」と言われる場所にいるのだが、その場所がどこであるかは本人と地区の責任者以外は知らない。秘密なのである。もちろん会計報告などは何もない。そのような組織形態の最大の問題は中間機関の幹部が資金などを横領することである。この講義はそのようなことの防止のために当初から教育をしようということの現われであろう。
キ 祝福の意義と価値
 祝福の意義と価値についての講義がおこなわれる。3年半の万物復帰、伝道の活動の後、3人の霊の子女を獲得した土台の上に祝福を迎えることができる。その祝福の内容と意義が与えられる講義である。
 祝福は単なる結婚ではない。原罪が清算される場なのである。原罪が清算されるということは、サタンの血統から神の血統に血統が転換されることであり、まことの父母の血統を相続して無原罪の子女を生むことである。祝福で与えられる人のことを相対者という。祝福の相対者は理想相対であると説明される。その人は神が与えてくれた人である。選ぶとか比較するとかいう感覚は堕落感覚である。そのように与えられる相対者は第2のメシアであり、父母の代身であり、まことの父母の分身であると説明される。祝福を受けることによって十字架を越えて勝利したイエスの位置を蕩減復帰したことになり、まことの父母の勝利圏に入ることができるという位置ずけが与えられる。
 国際祝福の意義についての講義もある。新しい文化圏を創造するために国際祝福に意味があること、韓国の男性と日本の女性の結婚の重要性や黒人との祝福の重要性が強調されている。日本人女性が通常受け入れがたいことを受け入れさせるために事前の教育が行われるのである。
ク 反対派
 反対派についての講義がある。親類、友人、職場の人、マスコミなどから親が統一協会について悪い情報を与えられる。心配した親は反対派に相談をするという経過をたどって、親が反対派につながり、そのことを知らない統一協会員が親に会った場合に監禁されて説得される。その結果は統一協会の教えを捨てて離教し、場合よっては反対派になる。親が反対派に繋がって説得を開始した場合には監禁されるのでそれに対処する方法はない。逃げるほかないと教える。
 したがって、親に対する対策はいかに反対派に繋がらないようにするかという点に集約される。そのためには、親の様子を的確に掴むこと、親との情関係を強固なものにしておくこと、統一協会のいい噂を親に伝える証をするということが教えられる。統一協会員に、親=反対派=サタンの可能性という認識を持たせる講義なのである。
 統一協会に捕らえられた子ども達を救出しようとする親とその親に必要な助言を与えて、子どもを説得する救出活動をする牧師などがいることは事実である。その原因は統一協会がその構成員に、正しいことと信じて犯罪行為を行わせていることである。統一協会が、そのきわめて洗練されたマインド・コントロールの技術を用いて人を組織の中に捕らえても、その人を統一協会の影響から切り離し、自分の頭で何が正しいのかということを考えさせれば、すべての人は統一協会の誤りに気づく。正しいと信じたが故に自己犠牲の道を歩んでいるのであって、統一原理や統一協会が正しくないのであれば、絶対にこの道をいくことはできない。誤りに気づけばすべての人が統一協会をやめる。したがって、統一協会の指示は「逃げること」しかないのである。

4 既婚女性の場合
 既婚女性(被告統一協会用語で壮婦という)の場合は、次のような経過をたどる。

(1) 鑑定
 協会員は、個別の訪問によって鑑定チケット(新規チケット)を販売する。チケットによって、鑑定所において鑑定を受けさせる。鑑定所は札幌北地区の場合は「羅針盤」であった。鑑定は、姓名判断や簡易な家系図の判断で対象者に不安や恐怖と使命感を与えて、ビデオ受講を決定させるために行う。
 新規チケットから初級コースを経て中級コースに続く道のほか、物販を通じて中級コースに続く道や、知人友人から婦人教養講座を経て初級コース、中級コースに続く道もある。きっかけは何でもいいのである。

(2) 初級コース等
 初級コースは鑑定所で行われる。内容はビデオによる学習と協会員によるその後の和動である。ビデオの内容は人によって変わる場合があるが、原則的には、第1章「夫婦のあり方」、第2章「幸福について」、第3章「霊界と因縁」、講演(家系、霊界)、「クリスマスキャロル」、第4章「真の家庭のあり方」、第5章「因縁清算の道」というものである。ビデオを見せる目的は、因縁と霊界によって不安や恐怖と使命感をより深く与えることである。

(3) 中級コース
 中級コースは、ビデオセンターに場所を変えて行われる。札幌北地区の場合は「エーデルワイス」である。中級コースの目的は、対象者に罪意識を持たせることである。後半から統一原理の講義が始まる。そのためのビデオや一般映画が用意されている。受講内容は、おおむね、第1章「愛による家庭の崩壊」、第2章「心のできあがる過程」、第3章「不幸の原因」、第4章「生命に対する尊厳性」、第5章「罪の清算と救い」、第6章「神の創造と人生の目的」、「映画氷点」、統一原理の講義は、第1章「創造原理」、第2章「堕落論」、「神と私達の関係」、「因縁と罪」、第3章「終末論」、第4章「メシヤ論」、第5章「復活論」、第6章「復帰原理」である。カウンセリングでは自犯罪を聞き出す。壮婦の場合、青年に比較して性に関わる深い罪意識を持たせられることが多い。

(4) 上級コース
 上級コースは、札幌北地区の場合は成和カルチャーセンターに変わり、講師による直接の講義となる。上級コースの目的は文鮮明をメシヤとして受けいれさせることと献金をさせることである。「創造原理」、「堕落論」、「復帰摂理」、「摂理的同時性」、「復活論」、「イエス路程」、「再臨論」、「主の路程」、「救いと私たち」といった講義の後、「復帰摂理思想」という講義を通して、自分の過去の罪の清算のため、先祖と子孫のためにという名目で献金が強要される。

(5) 幹部トレーニング
 統一原理の再学習と勝共理論、物売りの準備の講義である。「創造原理」、「堕落論」、「復帰原理」、「信仰生活講座」、「聖地について]、「統一運動の展開」、「勝共思想」、「現代の摂理」、「主人復帰講座」、「間接侵略の危機」、「勝共講座」、「現代の摂理」、「伝道学」、「礼典学」、「反対運動」、「主の路程」、「実践の為の講座」、「担当者教育(CB展)」、「公的責任分担と理想家庭実現」、「神について」、「罪について」、「高麗人参について」、「万物復帰の意義と価値」、「呉服展について」、「NF思想」、「物販について」などの講義がある。壮婦の場合には公式7年路程の講義はない。既婚であるためである。しかしながら、青年の場合と同じように物品の購入や献金が万物以下に墜ちた人間にとって神のもとに復帰するために必要であること、日本がエバ国の使命を与えられており、エバ国の使命は人材の供給と経済的支えの両面でアダム国家(韓国)に貢献することであること、一般市民はその救いのために被告統一協会の商品を買ってお金を被告統一協会に支払うことが必要であるという講義がされている。

(6) 新規隊等
 トレーニングが終わった後、1か月訓練のための茶の販売が行われ、その後新規チケットを販売したり、展示会の動員や伝道、物品販売活動に従事させられる。

5 教育の結果
 被告統一協会が実践している布教方法は、被告統一協会の長年にわたる実践の中で確立されてきて完成されたものである。他の布教方法で、被告統一協会のように社会的に極めて高い悪評をもち、日本人の通常の価値観とはかけ離れている宗教の教義を信じさせることはとうてい不可能である。
 商売の世界でも、ダイレクトメールを1000通出して3通反応があればよいとされているのに、被告統一協会では、青年コースの場合100名コース決定をさせて教育すると最終的には5名もの献身者(被告統一協会の商品を救いのためと信じて売り歩くために会社を辞め、仕事に就かず、対価を得ないで、24時間専従する人間)がつくられるのである。それは驚異的高率である。その外に献身はすぐはしないが協会員になる者を合わせると合計1割に達するという。被告統一協会の布教過程は異常に効率的なのである。その理由は以下に述べる違法な勧誘方法によっているからである。

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