郷路弁護士通信
2013年7月5日   

統一協会の布教・教化活動は信教の自由を侵害しているのです。


 魚谷次長が政教分離原則を持ち出して、第2陣2次訴訟判決を批判することは的はずれであり、裁判所はその職責を果たしただけであることは、すでに明らかにしました。ここでは、政教分離原則が守ろうとしているもの=信教の自由を、統一協会の布教・教化活動が侵害していることを判決にもとづいて明らかにします。

 第2陣2次訴訟判決は「宗教活動は、他人の生命・身体・財産と関わり合いを持つ部分では、何をしてもかまわないという特権的な地位が保障されているわけではない」と判示していますが、統一協会も控訴理由書(1)で「(統一協会)は、他人の生命・身体・財産に関し、何をしても構わないというようなことを言ったことは一度たりともない。」(47頁)と、その判示を認めています。

 宗教団体の信教の自由と勧誘される国民の信教の自由の関係について、第1陣訴訟の札幌地裁判決は、「特定の宗教の信者が、その属する宗教団体への加入を勧誘・・・(す)ることは、信教の自由により保障された宗教活動ということができるが、他面、それらは、その相手方の信教の自由をはじめとする基本的人権を侵害するおそれもあることにかんがみると、自ずから内在的な制約があることを免れない。」(498頁)と判示しています。
 第2陣2次訴訟判決は、その点を具体化して次のとおり判示しています。「宗教の伝道・教化活動は、自由な意思決定を歪めないで信仰を受け入れるという選択、あるいは、信仰を持ち続けるという選択をさせるものでなければならない」(257頁)。判決のこの部分について、統一協会は控訴理由書(1)で、「判決のいう通りである」(64頁)と認めています。

 従って問題は、統一協会の伝道及び教化活動が、対象となる国民の自由な意思決定を歪めているのか、いないのかということになります。それについて、第2陣2次訴訟判決は「統一協会信者らが原告らに対して行った伝道活動は、宗教性や入信後の実践内容を秘匿して行われたもので、自由意思を歪めて信仰への隷属に導く不正なものである・・・」(260頁)と断じています。
 信仰を受け入れることは、その人の自由意思にもとづいたものでなければなりません。それは信教の自由によって保障されていることです。統一協会の布教活動は「自由意思を歪めて信仰への隷属に導く」ものです。即ちその人の信教の自由を侵害するものなのです。
 統一協会の布教・教化活動は信教の自由を侵害しているから憲法違反であると私は平成元年10月から裁判で主張し続けてきました。この判決で、私の主張が認められたのだと理解しています。
 大学のカルト対策は、統一協会等による学生への人権侵害(信教の自由の侵害)を防ぐためにおこなわれているのだと、私はこの判決によって認識を強くしました。

 この判決が、どのような事実を基礎に統一協会の布教・教化活動によって、国民の自由意思が歪められたと判断したのかが問題になります。それこそが裁判で長い時間をかけて私が主張してきたことです。これについては、統一協会の布教・教化課程の分析をおこなうなかで明らかにしたいと思います。


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