一審判決 246P1行目冒頭〜22行目末尾


(6) 多くの日本人なら,宗教性が秘匿されようがされまいが,旧約聖書を題材にした原罪の話など「古事記」同様の神話にすぎないと考えるであろうし,霊界・因縁の話などは迷信にすぎないと考えるであろうと思われ,また,受講を秘密にするよう告げられることにも胡散臭さを感じるであろうから,宗教性が秘匿されたまま講義を受けたとしても,原罪や霊界・因縁が実在するとは感じないと思われる。
しかし,宗教性が秘匿されたまま原罪や霊界・因縁の話を聞かされた場合,これを神話や迷信にすぎないと突き放すことができず,それらが実在するのではないかと感じる人は必ず一定割合でいるはずである。
このような人が家族や友人に内緒で受講を続け,繰り返し,原罪や霊界・因縁に関する講義が「真理」であると告げられた場合,それら害悪が実在し,それら害悪こそが人間社会の不条理の原因であると納得したい,そう信じたいとの強い感情に陥ること,そして,その感情がその人の内面を支配した場合,その人は原罪や霊界・因縁の実在を信じて疑わない状態に陥ることが容易に想像される。
原罪や霊界・因縁の実在を信じて疑わないことは信仰を受け入れたに等しいが,ここでは神秘に帰依するという選択を経て信仰を得たのではなく,神秘と事実を見誤って信仰を得たのである。
このような信仰の伝道は,非常に不公正なものである。もし,同様の手法が経済取引(金融商品や健康関連商品の購入の勧誘など)において行われれば,独占禁止法,特定商取引法その他の様々な法律により,違法とされ,取締りがされることになるはずである。


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