統一協会責任論・準備書面(31)


被告統一協会の不法行為責任−民法七〇九条

一 宗教法人の「信者」勧誘活動といえども、その目的及び手段が社会的相当性の範囲を逸脱している場合には、不法行為として民事上の責任を問われるものであることは、被告統一協会を含めその他の宗教法人の物品販売活動及び献金獲得活動に関する諸判例に照らして明らかである。特に被告統一協会の「信者」勧誘活動の場合は、勧誘主体、勧誘目的を意図的に秘匿しているのであるから、「信者」勧誘活動が物品販売活動及び寄付勧誘活動より本質的な宗教活動であるとして特別な扱いをするべきではない。この点で奈良地方裁判所平成九年四月一六日付判決の左の判旨が参考にされるべきである。

 「本件のように宗教団体において自らが宗教団体であることや当該行為が宗教的行為であることを殊更秘して布教活動等を行う場合においては宗教的行為の一部であることが何ら外部には表現されておらず、宗教的信仰との結びつきも認められない単なる外部的行為とみられるから、信教の自由の範囲外であり一般取引社会において要求されるのと同程度の公正さが献金勧誘行為においても要求されるものである。」(判例時報一六四八号一一九頁)

二 被告統一協会の勧誘目的

1 被告統一協会が「信者」を獲得する目的はその「信者を教化育成する為」ではない。被告統一協会がその組織をあげて実行している違法な物品販売活動及び献金獲得活動(以下「経済活動」という)の対象者として統一協会の商材を購入させたり献金させたりするだけではなく、経済活動の担い手として、それに従事させることが真の目的である。
 青年に対しては献身させて対価を全く支払わないで働かせ、壮婦(既婚婦人)については、ごく少額の手当で働かせ、しかも従事させる経済活動はいずれも現行法令に違反するものである。

2 被告統一協会の「信者」獲得の目的が1記載のとおりであることは、第一に原告及び被告申請の証人らを含め全ての統一協会員が勧誘される課程で統一協会の商材を買わせられ、統一協会への入会後から親戚・友人を対象とする経済活動に従事させられ、その後一般市民対象の経済活動に従事させられていることから、推認する事ができる。
 統一協会の各組織は毎月毎月、各商材についての売り上げ目標をもち、その目標の完遂のための意思統一を月初めの決断式で行い、各人には個別目標をもたせて組織的、統一的、全国的に経済活動を展開するのである。
 統一協会においては地上天国の実現が常に目前にあるとされ、そのために○○の摂理という運動目標が常に与えられ、その摂理に失敗することは許されないとの立場から、経済活動が危機感に満ちた切迫した心情で取り組まれるのであり、経済活動への不参加は許されないのである。

  3 (1) 第二に被告統一協会が表に出さない最も重要な指示(教義の体裁をとっている)において、信者達が毎日の実践活動上最優先の課題として行わなければならないとされていることは、万物復帰=経済活動と伝道=新しい「信者」の獲得(物品販売対象の拡大及び物品販売活動を行う担い手の獲得)ということであることからも「信者」獲得の目的が1記載のとおりであることが推認される。
 (2) 青年の勧誘課程の場合にはその最終段階である実践トレーニングの冒頭で公式七年路程の講義がされる。公式七年路程の講義では現代は文鮮明の努力によってわずか七年で原罪を脱ぐための祝福(「合同結婚式」のこと)を受けることができるようになった恵みの時代であると喜ばせて、その前に三年半の経済活動と三年半の伝道活動が信者の課題として位置づけられている。経済活動は、統一協会員にとって最大の希望である「メシヤを迎えて新生=祝福」を受けるためにはどうしても実践しなければならない課題なのであるとされている。
 (3) 壮婦の場合には公式七年路程の講義はない。既婚であるためである。けれども青年の場合と同じように物品の購入や献金が万物以下に墜ちた人間にとって神の下に復帰するために必要であること、日本はエバ国家の使命を与えられていてエバ国家の使命は人材の供給と経済的支えの両面でアダム国家(韓国=文鮮明)に貢献することであること、一般市民はその救いのために統一協会の商材を買ってお金を統一協会に支払うことが必要であるという講義がされている。

  4 被告統一協会の「信者」勧誘活動が被勧誘者を経済活動に従事させることを目的としているものであることについては被告統一協会申請の証人の証言によっても十分推認する事ができる。
 原告らに対する「信者」勧誘活動を行っていたのは全国しあわせサークル連絡協議会(以下「連絡協議会」という。なお、この組織が「実体としての統一協会」であることは別に主張する)であると証人小柳定夫は証言する。
 では連絡協議会は何のために原告らの勧誘をしたのか?同証人は「連絡協議会の前身である『販社社長会』では、販売員の活動は、あくまでも営業活動が中心であって、顧客を対象とした伝道活動は、本末転倒する恐れがあるとして、行うべきではないという見解が大勢を占めていた。」(乙ハ第二三号証三二頁)、
 「けれども、『しあわせ会』という名前で、『統一原理』をわかりやすく噛み砕いた『しあわせ原理』を紹介する、三日間のゼミナールを開催したところ、受講された顧客の人々は、内容に大変感動され、その後の学習会にも参加を重ねるうちに、統一原理に理解を示すようになり、この方々は、統一原理との出合いの契機となった『しあわせ会』に感謝して、実践活動をするようになり、他の顧客に『しあわせ会』への参加を勧めたり、心情交流に努めたり、友人、知人を新規顧客として紹介するなど、その特約店の営業実績にも大いに貢献するようになりました。その結果、販社社長会は特約店の力量に応じ営業活動とは別に統一原理を伝えても良いとの方針を出した。」(右同三四、三五頁)と陳述している。
 物品購入者が統一原理を学ぶことによって販売活動に従事するようになり、売り上げが伸びたという事実をふまえて、物品購入者に統一原理を伝える活動に取り組むことにしたというのである。すなわち物品購入者に統一原理を学ばせることによって経済活動の従事者としていくということである。小柳は連絡協議会が全国規模の小売業であることを認めている(同人証人調書四頁)。以上のことからすれば連絡協議会の「信者」勧誘活動は連絡協議会の活動目的である小売業=経済活動に従事させる人間の獲得とそれを通じての売り上げの増大なのだと推認することができる。

5 (1) 統一協会の行う経済活動は民事上違法なものであることが裁判上確定しつつある。統一協会による専ら利益獲得を目的とした、先祖の因縁などによって不安をあおってさせる献金が民事上違法なものであることは判例上確定している(福岡地方裁判所平成六年五月二七日判決、判例時報一五二六号一二一頁、右の最高裁判決、平成九年九月一八日)。
 統一協会が行った壷、多宝塔などを商材とする霊感商法が違法な販売活動であるということが第一審の判決として言い渡されている(福岡地方裁判所平成一一年一二月二六日判決・東京地方裁判所平成一二年四月二四日判決)。
 定着経済(毛皮・宝石・呉服などを商材とする)や健康展(人参茶を主な商材とする)と称する活動についても、まだその一部についてであるが仙台地方裁判所は「物品販売行為は、通常の宗教的な伝道に付随する物品販売行為の域を越え、物品販売による利益の獲得それ自体を目的として、組織的計画的に行われたものであると認められる」と認定している(仙台地方裁判所平成一一年三月二三日判決)。
 被告統一協会の物品販売活動は通常の宗教的な伝道に付随する物品販売活動の域を超えているというのである。そのような物品販売行為が宗教法人法第六条に反していることは明らかである。
 (2) そして、統一協会の販売活動はその主体を偽って行われているのだが、それは訪問販売法第三条違反であり、現行法に反する活動であることも明らかである。

三 被告統一協会の勧誘手段について
1 (1) 被告統一協会はその「信者」獲得の際にその正体を明らかにしないばかりでなく、宗教団体であることすら明確に否定する。証人小柳は「(連絡協議会は宗教団体ではないので)ことさら宗教であることを名乗ることもしていませんでした」と陳述している(乙ハ第二三号証四一頁)。
 (2) ところで、平成一二年四月二八日福岡地方裁判所は法の華三法行に対する損害賠償請求事件において次のとおり判決をしている。
 「一般に、宗教は、人の価値観等に大きな影響を与えるものであり、研修等に参加するかどうかの判断にあたっては、これが宗教に関わるものであるか否かは重大な関心事であり、また、修業や喜捨等の宗教的行為が、社会通念に照らして荒唐無稽であったり、科学的根拠が明確でなかったり、宗教的行為とこれに先立つ出捐が対価的関係になくても許容されるのは、被勧誘者が、社会通念や科学的根拠等を超越した真理、法則等である宗教上の教義を信じることができ、その者の宗教的自由の外部的表現として、自発的に宗教上の行為に取り組む場合に限られるというべきであり、このような宗教性を明示せずに勧誘するときには、被勧誘者において、研修や物品購入等が出捐額に見合うだけの効果をもたらすとの誤解が生じうることは、十分に予想されるところである。
 したがって、宗教的行為を勧誘するに際しては、被勧誘者がその宗教的意義を理解し、その信仰心に基づいて修業等への参加を決定できるだけの説明をすることを要し、殊更宗教性を秘匿し、被加入者が宗教ではないと誤解していることに乗じて勧誘するなどの場合には、右勧誘行為は、不当な方法による勧誘行為として違法となるのみならず、これを秘匿することにより、被勧誘者の無知、誤解に乗じ、金員等を利得する意図があったことを推認することができるというべきである。」
 宗教団体に加入し、その宗教団体の活動に専従する=献身することはその人にとって、修業や喜捨の比ではない劇的な影響を与えるものなのであるから、そのような選択をするに当たっては献金や物の購入よりはるかに慎重な選択が保証されるべきであり、何よりも本人の自主的な判断によるものであることが保証されなければならない。そのためには勧誘する側から自主的な判断を可能とする情報の提供が要求されているのであって、宗教団体への加入、献身を求める為の勧誘が宗教性を秘匿して、宗教性を明確に否定して行われることは論外なことと言わなければならない。従ってそのような方法による勧誘が不当な方法による勧誘行為になることは前記判例に照らして明らかである。
2 統一協会の「信者」勧誘目的は単に宗教団体に加入させることではない。統一協会の命ずる現行法に反する経済活動に従事させることが目的なのである。違法な経済活動への従事は場合によって詐欺、脅迫などの罪に問われ、刑事処罰の対象になることにもなりかねない。現実に統一協会の販売活動で処罰を受けた人がいる。ところがそのような重大な目的を推測させる事柄は勧誘課程の最後まで隠されている。
 勧誘課程の中間ぐらいで文鮮明及び統一協会が証されるのは、文鮮明をメシヤ=最強の宗教的権威として被勧誘者に「誤認」させ、その権威の「指示」であるとして経済活動を行わせるためである。
 文鮮明と統一協会を証した後の講義は、繰り返しを除けば、統一協会の物品販売活動が自らの救い及びその物を買う人々の救い、エバ国である日本の使命であると信じて、販売活動を行うことができるように被勧誘者の「判断の枠組み」を入れ換えるためである。
 統一協会の商材の販売活動が右のような「崇高な」意味を持っているということを当初に説明して納得させることは不可能である。物の販売は極めて日常的な行為であって、その行為を特別なものと判断させるにはその人の「判断の枠組み」を入れ換えなければならないからである。
 「判断の枠組み」を入れ換えるためにはメシヤ=最強の宗教的権威の力を借りなければならない。そのために統一協会は神の愛とか、人間の堕落とか、堕落からの復帰とか、歴史の同時性を根拠にメシヤが文鮮明であるとか、地上天国の実現とか、様々な、抵抗を受けにくい順番に新しい「判断の枠組み」を教え込み、被勧誘者が文鮮明をメシヤであると心情的・感覚的に受け入れることができるような操作(四デイズのお父様の詩が典型)をした上で、そのメシヤが目標としている地上天国の実現、そのための統一運動、そのための経済活動という「判断の枠組み」を受け入れさせて経済活動をさせるのである。そのような真の目的を隠して勧誘し、真の目的が受け入れられるまで「判断の枠組み」を変えた後で、その目的をあかすという手段が不当なものであることは明らかである。

3 心理操作の数々
 右のように通常の「判断の枠組み」を持っている人達の「判断の枠組み」を転換するためには、被告統一協会は様々な心理的操作を行わなければならない。統一協会の用いる心理操作の力は総体としてみれば人の自由な判断を失わせるほど強力なものである。
 平成一〇年九月二二日東京高等裁判所は平成九年尅謗l八八六号外損害賠償請求控訴事件(原審東京地方裁判所平成九年一〇月二四日判決、判例時報一六三八号一〇七頁)に対して次のとおり判決した。

「一審原告が献金するに至るまでの右のような津藤らの行動は、肉親を相次いで失った原因が先祖の罪にあるのであり、それが長男にも及ぶかのように執拗に説くなどして、一審原告をして不安な心理状態に陥れ、一審原告の家系が絶家するかも知れない運命を逃れるためには、すべてを神に捧げることが必要であると思い込ませ、また、一審原告のためにその実家であるF家の先祖解放祭を実施してその気分を高揚させ、一審被告に対し献金することを決意させるとともに、餅田の働きかけにより一審原告との間に形成された信頼関係を強化し、更に、一審原告が献金する際には、一審原告が自宅を出て、銀行で金銭を引き出し、これを持って一審被告横浜教会に到着するまでの間信者らが同行して、献金の決意をひるがえさないように心理的拘束を加えて献金式に臨ませるなどして献金を行わせたというもので、それはさながら一審原告の心理を自在に操っているかのようであり、その結果一審原告は前記認定のとおり多額の献金をするに至ったものと認められるのであって、一審原告が少なくとも献金を決意し献金式に臨んだ時点においては到底一審原告がその自発的意思により献金を決意し、これを実行したものとは考えられないものであって、前記のとおり一審被告の信者らが、計画的に、その役割を分担して、一審原告をして、献金をしなければ最愛の肉親の身に重大な危害が及ぶかも知れないと思い込ませて、献金の名の下に多額の金額を交付させることは、社会的に到底是認し得るものではなく、不法行為を構成するものといわなければならない。」

 「信者」の勧誘課程は、献金などのような「一時的な決断」ですむことではないので長い勧誘の課程があるのだが、被告統一協会の「信者」勧誘課程の特質は右の東京高裁判決が指摘した事実以上に、被勧誘者の「心理を自在に操る」ための手段に満ちているのである。その心理操作的勧誘手段の詳細は別途主張する。

四 以上のとおり、被告統一協会の「信者」勧誘方法は、その目的及び手段が社会的相当性の範囲を逸脱しているので、被勧誘者に対する不法行為となる。そして原告らに対する「信者」勧誘行為は被告統一協会が自身の活動として行っていたものと評価できるので、被告統一協会は原告らに生じた損害を賠償すべき責任がある。

以上


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